人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  十五話

 

 

 夜の帷が下りる頃、恋人達の心には自然と愛の焔が灯される。先程の黄昏れに物足りなさを感じ、亦煽動されるようにして英和と直子はまた無意識の裡に人目を避けながら現世のエリシオンを目指して歩き出していた。

 吹き付ける風は二人の共通意識と相乗し不規則な流れで辺りを巡回し、俄かに芽生えた静寂を打ち破らんとする意思は小規模ながらも鮮烈な嵐を呼び起こす。

 部屋に入っても灯りを付けようとしない英和の思惑の大凡は直子にも理解出来ていた。如何にも気障ったらしい赴きではあるが、まずは互いの心情を確かめない事には身体が動かない。それは何も畏まって順番という形式的な段取りを遂行しようとしたのではなく、ただ単に時にはこんなシチュエーションも良いのでは? といった英和なりの冗談交じりな演技でもあった。

 なるほどと得心したのか直子も満更ではない様子で敢えて彼のノリに付き合う。しかしそこで英和はベッドの端で足を躓くという大失態を晒してしまった。

「あいたっ! しくったぁ~......」 

 芝居は一瞬にして台無しになり、恥じる英和の顔は暗くて見えないものの、その声だけははっきりと部屋中に木霊していた。それを訊いた直子は言う。

「それも演技やったん?」

 英和は直子の助け舟ともいえる助言を味方にして調子良く乗るのだった。

「バレた? 名演技やったやろ? これぐらいの余興がなかったらあかんでな」

 二人は愛想笑いとは似て非なる潔い清々しい笑みを浮かべながら固まりかけていた心を徐々に砕き、そして火を灯して行く。でもその火はまだ僅かな燭(ともしび)に過ぎず、何時消えてしまうかもしれないか細い燐光は、取り合えずは人間の五感という五つの燭台全てに点火する事に依って逞しい焔へと成長させる必要があるだろう。

 二人は未だ部屋を明るくはしない。その上で確かめられる人の五感。初めの一手は視覚だった。この暗闇に見える筈もない互いの表情も、窓外から差し込まれる街灯りと細やかな月灯りに依っていくらかは見える。

 仄暗さが映し出した表情はまだ多少の笑みを残しつつも、それでいてシリアスな雰囲気を醸し出すような微笑ましくも真面目な輪郭を現わしていた。

 次なる聴覚は外から聴こえる街の雑音と部屋に微かに響く両者の吐息と鼓動を捉えていた。この三つの音はそれぞれが独自の力を放ちながらも他者と絶妙のバランス感覚を以て共鳴するかのように優美なハーモニーを奏でる。

 触覚はというと未だ触れられぬ両者の身体に感じ得る、物から覚える感覚で、固い氷が繊細に溶けて行くようなこの状況にあっては、その透明な色彩の中に今にも滴り堕ちて来そうで来ない、是非を問わない一点の波紋に滲み始める動揺が示す指先と爪先の精密な肌触りにあった。

 味覚は二人の優しい心根が充満する内気が先程までの外気と重なり合って調和された天為と人為的な企みが織りなす純心にして技巧な、凡庸にして複雑怪奇な良質な味わいだろうか。

 残る嗅覚は無い直子の香水を付けた身体から仄かに感じる芳醇な香りと、英和の男臭くも汗冷えした皮膚に留まる淡白な匂いか。

 一応とはいえ無言の裡にこれだけの感覚を確かめる事が出来た二人は更なる感覚を求めて邁進する。ようやく部屋に灯りをつけた英和は改めて直子に対峙し、その内なる正直な秘境に冒険を試みる。

 露骨な感覚的意識。来るものを全く拒まない筈であろう直子の素肌からは烈しいまでの眩い閃光は放たれ、それを時としては受け止めながら、時としては躱しながらも狼狽える事なく突き進む英和の身体は、精神を凌駕したような童の凄まじい攻撃力で攻め掛かって行く。

 彼に甘んじるでもなく抵抗するでもない直子の健気な守りは図らずも幾許かの隙を与えるように、その攻撃を試すかのような母性愛にも似た厳しさで立ち向かう。

 両者の攻防一体とも言える戦陣は一進一退の形勢を象りつつも、拮抗する純粋無垢な力の衝突に依って生まれた剣光を華々しく天に打ち上げる。呼応する天からは鉛白の光波が降り注ぎ二人の裸体を滑らかに解しながら優しく潤す。

 月灯りを浴びた星屑を鏤めたようなその身体は鮮やかに彩られ、艶やかな光沢を放つ意志からは何者をも寄せ付けぬ威厳が漂っている。

 これが二人が追い求めていたものなのだろうか。素晴らしいとは思いつつも未だ達成感を得られないその姿からは情愛を置き去りにした、個々の目的だけを果たしたような自己満足が確立されていた。これで契りを交わしたと言えるのだろうか。だが今見た光は明らかに二人の心情から発せられたもので、一人だけで作り得るものでは無い。それなのに一向に消え去ろうとしない蟠りはこれ以上の試練を欲しているというのか。

 英和は思わずこう訊くのだった。

「直子、今何考えとったん? 俺には凄い光が見えたからびっくりしたんやけど」

 彼女は敢えて目を合わさずに答えた。

「あんたまだ甘いわ、私にはそんな光は見えんかったで、幻でも見たんちゃう?」

 幻ならば何故甘いとかいう言葉を使うのだろうか。見たくて見られる幻なのか、それとも他意があるのか。やはり女には先天的に魔性の力でも備わっているのだろうか。

 いくらプラトニックな関係性を保ちたいとはいえ、この二人には何かそれ以上の宿命(さだめ)があるようにも思えるのだが、そう思う事が既にして己惚れなのか。

 これだけの熱い闘いを演じたにも関わらず英和の身体にはむず痒い寒気が走る。

 飛躍していようとも結局は生きたままエリシオンに到達する事は出来なかったのか。だとするならば直子にも蟠りが残っている筈だ。しかし彼女はそんな様子を一切感じさせないままに徐に窓を開け、外の空気を吸い込むのだった。

 冷たい夜風は一瞬にして英和の熱い想いを醒ましてしまうのであった。

 

 その頃、一方では康明も彩花との逢瀬に興じていた。この二人の間柄は英和らのそれとは違い、親密な関係性というよりは寧ろ遊びの延長でしかないように見受けられる。

 軽く見る訳ではないまでも彩花のような男勝りな女性がどのようにして康明と結ばれたのかは未だに理解に苦しむ。強いて理由を導き出すとすれば彼の鷹揚で人を好む性格と、その楽観的で饒舌な為人がたまたま功を奏したとも思える。

 無論それは当事者同士が知り得る事であり、他者が干渉する必要など無かろうとも少々過激な彩花との仲には何か危険な香りがしないでもない。

 対極に位置するが故に育まれる愛情。それも理には適っているような気もする。この二人の逢瀬は何時も男同士のような会話から始まっていたのだった。

 それは車中での様子だった。運転は交互で行い車好きだった康明は隣に坐っている時は常に暇そうにしていた。

「あんた運転しとう時の方が圧倒的に口数多いでな、今は何も言えへんやん、何か怒っとん?」

 言われた康明は少し怪訝そうな顔つきで外の景色を眺めながら答える。

「別に、お前運転荒いな、何時か事故するぞ」

 彩花は何ら気にする事なくそんな忠告は眼中にもないといった様子で更にスピードを上げながら話し続ける。

「あんたももっと喧嘩強くならんとあかんでな、この前もあいつらと目も合わさんかったやろ? ヘタレ丸出しやん、情けない」

「あんなもん、俺が出るまでもないやろ、ちゃんと無言の圧力をかけたったしな、そやからあいつらも諦めて退散して行ったんやろ」

「ふっ、なるほど流石は○○中出身だけの事はあるな」

 彼等が高校時分にバイトしていたスタンドでの光景は社会人になってからも屡々現れ、それがこの街に住まう者の少々常軌を逸した世界観みたいなものになっていた。

 その度に矢面に立って立ち向かうのは彩花で、康明はただ静観、傍観しているだけであったが、彼女に対する借りは康明の人柄だけで相殺されていたのだろうか。摩訶不思議なこの二人の間柄には何が隠されているのだろうか。

 それを確かめる事こそが愛なのだろうか。彼等も英和らと同様或る場所へと車を走らせながら夢想の裡に何かを追い求めていたのだった。

 部屋に入った二人はその明々とした空間の中でいきなり交わり始める。彩花の手は積極的に康明の身体に触れて行き、敏捷に立ち振る舞うのだった。

「ほら、早く脱ぎなさいって!」

 康明は照れながらも衣服を脱ぎ彼女に身を預ける。すると彼女は彼の身体を踏みつけ罵声を浴びせ掛ける。

「オラー、何やその見窄らしい身体つきは! もっと鍛えんとあかんやろ!?」 

 そう言って詰りながら康明の身体を足で転がしながら執拗に責めるのだった。横になっている康明は笑いながら甘んじてその攻撃を受ける。

 そう彩花は完全なs体質で康明はмに成らざるを得なかったのだった。しかしそれが両者の本心であったかは定かではない。それを証拠に彩花はそんなプレイをしながらも何時も淋しい表情を泛べていたのだった。

 対する康明も決して甘んじているといった風でもなく、攻めに転じる機会を窺っていたような節はあった。

 両者の攻防は初めの愛撫だけで永続的に保たれる筈もなかった。遊び程度に康明を甚振った彩花は少し疲れたような様子で腰を下ろす。すると康明はここぞと言わんばかりに攻めに転じる。

「何や、言いたい放題言うてくれたな~、こっからが勝負やで~、覚悟はええか~」

 彩花は何も答えずに掌を返すような態度で康明の攻撃を受け止める。でも康明は烈くは立ち回わらない。あくまでも優しく触れて行く。

 その姿勢はか弱い女性の手つきのような、意気地の無い男の躊躇のある何処か勿体ぶったような演出ではあったが、その焦らすような行為が彩花の羞恥心に火を付け彼女の身体は自然と女性らしい形態へと変化し、しなやかに華麗に、そして悩まし気に舞う姿には新天地を求めて彷徨う放浪人のような漂いがあった。

 快楽に酔いしれる二人が欲するものは官能や恍惚感だけではなかった。その先にある人の性をも崩壊させてしまう強靭な力。それはちょっとやそっとでは到達出来ない、幾多の試練に打ち勝った者にのみ授けられる勲章に値するものではなかろうか。

 その試練の一部であろう事を成し遂げた二人は切ない接吻をした後に言葉を繕う。

「何か見えた?」

 惜しげなく訊いて来る彩花に対し、康明は揶揄いながら答える。

「おう、何か丸いもんが見えたな~......」

 彩花はらしくもなく照れ笑いをしていた。恥ずかしがる彼女の姿は可愛かった。

 sやмという体質は先天性があるのだろうか。この二人を見ているとまるでその性質を変えたいような思惑を感じる。或いは彩花も直子同様に男を試しているのだろうか。

 この二組の恋人、いや本当に恋人なのかも分からないが、結局は真実に辿り着く事は出来なかったといって良いだろう。

 兎が餅をついていると言われる月はそんな彼等の様子を嘲笑うかのようなにんまりとした表情で、冴え輝いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

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