人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  二十一話

 

 

 英和としてはひとり酒に浸りたい気分だった。家ではなく店で。それは駅やパチンコ店などで感じる群衆の中の孤独感みたいなものだろうか。それを良質なもので提供してくれる場所も今では少なく感じる。  

 だがそれは裏を返せば自分の世界を見出し、確立する事が出来ない己が非才を反証するようなもので、予期しなかった直子の到来はそんな悲観的思考を緩和してくれる。

 彼女はシャンパンカクテルなる洒落た飲み物を注文していた。その黄金色に輝く液体は正にシャンパンゴールドといった高貴な煌きを放ち、浮かび上がる無数の泡沫には化学的にも自然な浪漫が感じられる。

 英和はこの炭酸の音を聴くのが好きだった。グラスに耳を当てるとハイボールと同じくカラカラカラという小さな可愛らしい音が聴こえて来る。この微粒子が溶けて行くような繊細な音が何故か心を癒やしてくれる。

 そんな英和を笑いながら見ていた直子は言う。

「あんたってほんまに変わっとうな、それやったらあんたも一緒の頼んだらええのに」

 でも英和は決して頼まなかったし、たとえ一口でも飲もうともしなかった。それはカクテルなどは女が飲むものだという筋の通らない、それこそ時代錯誤な偏見とも言える拘りを持っていたからだった。その事は直子も理解していた。だからこそ笑っていたのだろう。

 耳を離した英和は自分の水割りを少し多めに飲む。そして隣に坐っている直子をほったらかしにしてまた自分の世界に埋没しようと試みる。直子も何も言わずに洒落た雰囲気に独り酔いしれていた。

 英和の物思いに耽る習慣は今に始まった事でもなかったが、この場に於いてもまだ熟考しないといけない重大事項でもあるのだろうか。差し当たっての問題はない。でも考えないと気が済まない。自ずと出来上がっしまった精神構造は今更変えられる訳もなく、それを先天的疾患と捉えてしまう自分にも嫌気が差していたのだった。

 その具体的な内容はやはり己が人生と人間社会、社会構造を鑑みるような、下世話にも慢心のある考察で、生まれたばかりの赤子の頃はいざ知らず、物心がつき始めた小学生中学年ぐらいから今日までの経験談を覚えている限り振り返るといった実に面倒くさい作業であった。

 その中にあった様々な喜怒哀楽、それらは当然ながら全てが連結されていて何か一つだけを取って勘案する事は無意味にも思える。そうなるとあの時こうしとけば良かったなどという短絡的な悔恨などは生じる筈もなく、何故こうなってしまったんだ、もっと言えば何故自分は生まれて来たんだ、何故生きているのか、何故この世の中があるんだという宇宙創造の秘話にも及ぶような余りにも飛躍した考察が成り立ち、そこに立ち向かわない訳にはいかないという強引な義務観念に襲われる。

 神仏でも答える事が出来ないであろうこのような難題に、彼のような凡人がいくら挑んだ所で結果は虚しいものに終わるだろう。でも一つの生命が生まれる神秘という観点から考えれば無から有が誕生するという経緯に類似し、規模は違えど元は同じで共通する問題であるような気もする。

 何れにせよ、こんな小難しい事ばかり考えている時点で煩悩に苛まれている事には違いなく、愚かにも自己憐憫に陥る英和を見ていられなかった直子は優しく語り掛けてくれる。

「考え事終わった? あんまり深く考えん方がええんちゃうの? 早死にするで」

 英和は軽く微笑みながら答える。

「そうやな、ありがとう、ところであの樹に辿り着いたん?」

「だから何の話よ、あんたの夢物語までは分からんわ」

「さよか~」

「さようです」

 英和は自分の前にあるグラスを見て思った。あれだけ考え事をしていたにも関わらず、既に飲み干しているではないか。何時の間にこんなに飲んでしまったんだと。

 これは物思いに耽っていながらも感覚的意識だけはきっちり働いていた事を裏付ける明確な証拠で、謂わば人間が寝ても覚めてもその身体に纏わりついて離れないという唯識論の第七識、末那識が作用していたのではあるまいか。

 ただあくまでも起きた状態で見た夢、そして自我に執着していた時点では六識である意識に留まるのかもしれないが、その自我に依って見られるとも言われている夢の世界に埋没していながら尚も酒を飲み続けていたという事はやはり末那識が作用していたと認識せざるを得なく、直子までもがその異世界に入り込んで来たとすれば、大袈裟な話彼女にも恋愛以外の側面から英和に近付いて来たという意図が感じられる。

 それこそが以心伝心であると言えばそれまでなのだが、未だ悩み事の一つも口にしない彼女の真意も興味深い所であった。

 自分が陥っていた世界が決して幻でも幻覚でも錯覚でもないと信ずる英和は徐にこう切り出した。

「直子、お前何で俺の世界に入って来れたん? やっぱり同じ夢見とったん、いや考えとったんか? それと悩み事なんかあるんか? 一回も訊いた事ないけど」

 彼女は微笑を絶やさないままに答える。

「ふっ、さ~ね、どんな世界におったんかは知らんけどあんたの考えとう事はだいたい理解出来るわ、それと悩み事なんかなんぼでもあるに決まっとうやん」

 英和は敢えて深く詮索しなかった。それは彼女に嫌われる事を懸念した訳でもなく、寧ろ自分が今以上に神経質になる事を怖れたからであった。

 

 春眠、暁を覚えず。確かに春の夜は寝心地が良いものだ。でもまた訳の分からない夢、それも明け方にそんな夢を見たくないと思っていた英和は柄にもなく少々早起きをして家の近所を散歩していた。

 すっかり和らいだ寒さは冬などどこ吹く風と言わんばかりに人を現金な、調子のいい気分にさせる。公園に咲く桜は春を象徴するかのように威風堂々と聳え立ち、草花の周りを可憐に舞う蝶は歓喜に充溢する心情を謳い上げるようにその羽を烈しくはためかせている。

 燦然と照り輝く陽射しは地上を暖かく包み込み、清々しくそよぐ柔らかい風は触れるものの気持ちを優しく浄化してくれる。

 自分の表情が多少なりとも緩んだと思うのはその所為だろうか。厳しい冬を乗り超えて来たものにとって春の到来ほど嬉しいものもなく、季節、自然から受け得る恩恵には謝意の示しようもない。

 目を移すと雀の可愛らしい鳴き声が聴こえ、一羽の鳥が勇ましく飛翔する姿が見られる。この鳥は何処へ向かって飛び立ったのだろうか。行き着く先に栄光を求めているのだろうか。それとも飛び回る事自体に純粋な喜びを感じているのだろうか。

 英和としては後者である事を願いたかった。それは目的を持ったと同時に訪れる不安を感じたくない相変わらずの己が小心を嫌う為である事は言うに及ばず、何か目的がなければ生きていてはいけない、生きる価値もないみたいな世の風潮を徹底して嫌う一見温(ぬる)い意見に捉えられがちながらも実はその限りでもない、一貫した思想から来るものであった。

 一つの現場が終わった事で今日は仕事が休みだった。平日に休みが取れるのも現場作業に従事している者の特権であり、所詮は日給月給の給与形態を強いられている同情にも及ばない憐れな性でもあった。

 散歩を終えて家に戻ると部屋に置いてあった電話に何度も着信履歴があった。康明からだった。英和は急に仕事が入ったのかと嫌気が差しながらも一応連絡を折り返す。しかし康明に告げられた事と、その只ならぬ気配に驚愕する英和は今話している内容こそ夢であって欲しいと願わずにはいられなかった。

「親父が死んでもたわ......」

 英和は矢も楯もならず病院に急行する。その道中で咲き誇る桜がこのうえなく鬱陶しく思える。やはり自分と桜は相性が悪いんだ。気持ちの乱れは自ずと表情に表れ、こんな顔で親方には会えないという想いと重なり合って更なる歪んだ表情を作り出す。

 早朝の病院は静まり返っていた。不謹慎な言い方だが早くも親方を弔っているような雰囲気だ。駆け付けた部屋には真っ白な顔をした親方とそのベッドを取り囲む一家の姿があった。親方の奥方は泣き続けている。康明は親御さんほどではないが涙を溢し、何も言わずに呆然と立ち尽くしていた。

 英和は何も言う気にも、何をする気にもなれなかった。約20年前の記憶が蘇って来る。あの悲惨な光景が。彼は知っていた。人の死というものが如何に哀しいか、苦しいか、辛いかを。こんな状況で掛ける言葉など無いし掛けたくもない。しかし康明母子の悲嘆に暮れる様子には想像を絶する沈痛な響きがあり、つい声を掛けてしまうのも人情でなかろうか。でも何と言って良いやら見当もつかない。

 結局英和は何も言わないままに自らも零す涙で哀悼の意を表していた。だが現時点では哀しさよりも悔しさの方が10倍勝っている。自分の親同然に付き合いをして来た彼は口には出せぬ、

「親父ぃぃぃーーー!」

 という言葉を心で叫び続けた。魂の叫びが通じたのか親方の口元が一瞬動いたように思われた。錯覚幻覚であろうともそれは英和の心を慰める。

 それにしても何と綺麗な死に顔だろうか。悔いのない生涯であった人の死に顔は安らかで澄んでいると言われているが、それを象徴するような顔だ。自分の父親もそうだったが、果たして自分はこんな顔をして死ねるものだろうか。

 人前では決して愚痴や謗言を口にしなかった親方。彼は本当に他者や世相について何も思っていなかったのか、腹を見せなかっただけなのか。そんな事を詮索する事も憚られはしたが、その辺の事も一度じっくり腹を据えて話したかったものだ。

 でも親方から無言の裡に感じ取っていた厳しくも温厚な生き様は英和の胸にもしっかりと刻まれており、俄かに芽生えた悔いすら愚かしく思えて来る。

 康明の母御から訊いた話では心臓病の方は回復の兆しを見せていたらしいが、高齢という由もあり肺炎をこじらせて亡くなったとの事だった。

 青天の霹靂とはこの事か。それも春に色づくこんな時期に。

 親方の意志を受け継がなければならない英和と康明両者の姿は見るからに惰弱で、頼りなく見える。

 窓外に映る春の陽気はそんな二人を見守るように明るく、そして優しい光を投げ掛けてくれるのであった。

 

 

 

 

 

 

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