晴れやかで趣のあるウォーキング ~放浪人or冒険家
春うらら 鳴かぬ鶯 可愛けり(笑)
御無沙汰しております。やっとこさすばる文學賞への応募が終わりましたので、またブログ生活に舞い戻って参りました。
はてなブログこそ我が人生? saga見参 ! アホかという話ですわ(笑)
それだけこのブログに対する思い入れが強いという話ですかね^^
それにしても月日の経ちよう、時間の経過というものは早い限りですね。年を取る毎にそういった、自身に対する憂いが込み上げて来ます。
今年に入って早や二(ふた)月が過ぎ、3月も半ばに差し掛かりましたと。この間にも世間では色んな事がありました。その詳細は忘れましたが 😴 あった事には相違ありません。
そんな中、自分は引っ越しをしました。一世一代の覚悟も以て。とまでは言いませんが、私生活でも色んな事に苛まれ続けておりましたので、心機一転を図るべく、自分なりの判断を下したという所ですかね。
引っ越しは良いものですね。以前住んでいた所がよほど悪かったのか、まるで異世界に誘(いざな)われたかのような気がしないでもありません。
淋しがりやの癖に、どちらかと言えば孤独を愛する自分としては、この静かな環境が贅沢なぐらいに思えます。何か西方浄土、或はこの世の天国にでも生きたまま足を踏み入れたような。無論日中はそこそこの騒音もありますが、夜などは正に静寂。怖いぐらいに静まり返っています。
同じ区内でここまでの差異があろうとは思いもしませんでした。此処も元は実家があった、生まれ育った地元なのですが、約10年離れていた所為か、すっかり様変わりしたように思えます。
下町にありがちな、昔ながらの古い長屋やアパート、雑居ビル。今ではそういった建物が殆ど見受けられません。何時の間に建ったのだ、というような真新しい、小洒落た建物が反射する陽の光が不自然なほどに眩しく感じます。
ま、こう思ってしまうのも拘りの強い保守的な自分の、憂慮すべき欠点かもしれませんね。前向きに生きて行かねばなりません^^
という事で(どういう事やねんと)、前向きと言えば身体を動かす事。といえば運動不足解消と気分転換から浮かんだウォーキング。これをしない手はありません。身体を動かしたいのに、これまでは大した事をして来ないまま時間だけが過ぎて行きました。それは取りも直さず己が不徳の致す所でもある訳ですが、街中でそれをする事に躊躇していた自分も情けないと思います。
そこで、有無を言わさず始めたこのウォーキング。まだ始めて二週間ほどしか経っていないのですが、その効果は我ながら凄いと思います。
まずは運動不足解消。水泳と比べるとその消費カロリーもたかだか知れているとは思います。でも歩く場所に依っては距離が稼げるんですよね。
自分が大好きな海。これこそが憧れであり、癒やしと快感を覚える真骨頂。港町神戸とはいえ、ただ見ると訊くだけでは大した雰囲気は感じられません。ネットでググった画像なども勿論。
1万歩を目指して歩く事、約20分。須磨海岸の真ん中ぐらいの位置にある赤灯台。当初はここを目標にするつもりでした。ところが携帯(自分は未だにガラホ)で歩数を確かめると3000歩でした。流石にこれでは物足りないと思い、そのまま西へとひた歩きます。すると眼前に姿を現した須磨駅。その近くに公衆トイレがあったので、そこで用を足し、歩数を見ると5000歩足らず。ここでUターンして引き返せば1万歩にはなるのですが、まだその先があるんですねぇ~。
ここで一旦休憩をして西方面に目を向けていました。この写真にある左側が水産会社になっていて、中へ入って行くと漁師さんが網を弄っていました。これ以上海岸線を西に進む事は出来ないのかと尋ねてみると、行けない事はないが、岩場があるので難しいかも、という返事をしてくれました。
致し方なく諦め、引き返して行こうとすると、如何にも買い物帰りといった綺麗なおばさんが歩いていたので、同じ事を訊いてみました。やっぱり漁師と同じ答えが返って来ました。
でもそのおばさんは、そのまま海岸線を、写真にある右側沿いに進んで行くのでした。考え過ぎかもしれませんが、この先に抜け道があるのでは? 地元民しか知らない隠し通路があるのではないか? という不純な猜疑心が自然裡に自分の心を覆ってしまいました。
でもやはり疑うのは悪い。と思い結局は引き換えしました。
これがウォーキング初日の出来事です。
次いで二回目。同じ道程で歩き須磨駅まで辿り着きました。往復すれば1万歩。歩き過ぎても逆効果という意見を等閑にする訳ではないのですが、たとえ後もう少しでも、と思い、西への道を探しだそうと躍起になっていました。
右側にある海にして山道のような雑草が生い茂る砂道を歩いて行くと、その果てには素晴らしい絶景が待ち受けていました。
この景色を見た自分は感動しました。少々大袈裟な言い方ですが正直な気持ちです。ここから先はビーチにありがちな人工的なアスファルトやコンクリートで塗り固められた道が無いのです。見渡す限りの砂浜。そこにある風景というものは、正に自然の理(ことわり)を表しており、神経質な自分の性格をそのまま掻っ攫ってくれました。
漁師やおばさんが教えてくれた岩場というのは更にこの先にありました。何れはそこへも行ってみたいと考えています。
運動不足解消を思ってし始めたウォーキングですが、自分のように色んな事を考えながら歩いている人など居るのでしょうか。他者の事を干渉、詮索するつもりは一切ないまでも、何故か人様が歩いたり走ったりしている様を見ると、実に爽快に感じます。
嘗て僧が言っていました。
「道(人生)に迷った時は歩くようにしています」
と。
如何に坊さんとはいえ、この言には感動を覚えた自分です。
この年を晒して、未だ人生に放浪しながらも、探求心も一応は持していると。我儘な話かもしれませんね^^
温かい春を待ちわびる為だけの、不遜とも思える心情に、鶯の可愛い鳴き声は聴こえて来ません。
歌を忘れたカナリアとは言いますが、鳴く事を忘れた鶯など居るのでしょうか。それは今の自分の心を表しているような気がします。
という事で(どういう事やねん!?)、以上、彷徨いながらも冒険を試みる者の、前向きなウォーキング日記でした(笑)
皆様、良い週末を 😉