人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

まったく皺のないTシャツ 二十三章

 我が道を  阻むは己が  心かな

 その後もとんとん拍子でドラマ出演のオファーは舞い込み、一哉は今や一端の俳優に成長していた。そこそこ食って行けるようにもなった一哉はもはやアルバイトも辞め俳優業一筋に専念するのであった。

 しかし唯一気掛かりなのは沙希と奈美子、この二人の女の事であった。沙希にはあれから何度となく電話したが一向に出てはくれない。やはり先日の逢引きが最期であったのだろうか? 人間関係が不器用な一哉だったがこんな別れ方は些か腑に落ちない。沙也加の時のような自然消滅は嫌だった。その事が吹っ切れないまま次に進む事など出来ない、といった相変わらずの几帳面さはその人生にまで影を落とす。

 でも一体どうすれば沙希と綺麗な別れ方が出来るのであろう? こればかりは人に相談する訳にも行かず、ただただ葛藤するだけであった。

 

 そんな折、一哉は舞台で失恋する役を演じていた。愛し合う二人は何れは別れるといった恋物語ではありがちなストーリーであったが一哉も相手の女優も実に巧く演じ切り、自分自身でもそこそこの出来栄えで座長からもお褒めの言葉を頂く。

 仕事を終えた女優も一哉も当たり前のように

「お疲れさま~」

 と声を掛け合い帰って行く。

 しかし家に帰った一哉はふと思いつく事があった。今日の芝居は良い演技が出来た。そこまでは何の問題もないのだが、失恋するという芝居をしてもそれはあくまで芝居であって実生活ではない。だからこそ仕事と思い割り切って良い芝居が出来たのだ。この理屈を沙希との恋路に当て嵌める事は出来ないだろうか? 確かにこれは芝居ではないが、自分はそこまで沙希と熱烈な恋愛をしていたのだろうか? それも自分では分からない。だが決して心を焦がすほどでは無かった事も事実ではあった。

 まだ吹っ切れない一哉ではあったが取り合えずはそう自分に言い聞かせて沙希の事は忘れるよう心掛けた。

 

 都会の花瓶にも可憐なコスモスがほころびる頃、夏の暑さも収まった街にはお洒落なファッションで着飾った人々の姿が目に付く。秋が大好きだった一哉は自分も負けじと結構値の張る衣服を買い揃える。その着こなしは自分で言うのも烏滸がましいが結構センスがあり、さながらモデルのような佇まいで悠々と街を歩くのであった。

 風に煽られた一片の紅葉の葉が一哉の頬をかすめる。その葉を手に取り自分の大好きな秋の到来に充足感で満たされた一哉は旅行に行きたい気分になった。

 初めて母を伴って行く旅行。それは一哉にとっては親孝行であり、自分の気持ちをリセットさせる為の旅行でもあった。母は二人だけでは勿体ないからと弟の昌哉を連れて行く事にした。

 日本海に面するこの静かな温泉街は一哉達が住んでいる太平洋側とは違い哀愁に充ちた漂いを感じさせてくれる。この落ち着いた雰囲気も一哉は大好きであった。

 少し歩みを進めた自然豊かな公園には野葡萄や花梨、紫式部などの観るも美しい花々が咲き誇り、風情のある温泉街の景観と併せたその情景は正に花鳥風月を思わせる。

 母は

「綺麗ね~」

 と声を上げていたが、一哉は何も言わずにただその光景に染まるような心持で目を細め眺めていた。だが案の定、昌哉は全く関心を示さない。その姿を見た一哉はやっぱりこいつは連れて来るべきでは無かったと後悔していた。

 宿のスタッフも実に愛想の良い丁寧な接し方をしてくれ、夕食も豪勢であった。一哉と母はその一つ一つの料理を有難く食したのだが昌哉はただ手あたり次第ほうばる。一哉はいい加減愛想が尽き

「コラ昌哉、もっと上品な食べ方が出来ないのか!?」

 と叱った。すると母が

「まあいいじゃない、この子はこんなもんよ」

 と中に入ってくれる。兄弟なのにこの真逆な性格はどうしたものであろう。これこそが持って生まれた性なのか? 今のところ兄弟の共通点といえばただ悪い事はしない、といった至極当然の事だけだったのである。

 

 部屋に入った一哉は持参していたキーホルダーを久しぶりに眺めていた。角度を変える度にキラキラと光る様を少し暗鬱な表情で見つめていた一哉に対し、また昌哉がいらぬ世話をして来るのであった。

「兄貴、俳優はどうなの? 巧く行ってるの?」

「ああ、何とかな」

「あ、そう、で、女は?」

「お前何が言いたいんだよ?」

「怒らないでくれって! 俺はただ心配になっただけだよ」

「そんな心配はいらねえよ」

「でも最近、兄貴は誰とも付き合っていないだろ?」

「お前には関係ないだろ」

「そうだけどさ、俺はやっとこさ女が出来たんだよ」

「珍しいな、初めてじゃないのか?」

 と言った一哉の顔は些かなりとも明るく見えた。

「そうだよ、二十歳を超えて初めて出来たんだよ、でも俺はその子と一生付き合うつもりはないけどな」  

「お前、そんな半端な気持ちで付き合ってんのか? 男らしくない奴だな~」

「そんな事ないさ、遊びとまでは言わないけど俺も彼女もそこまで真剣でもないし、俺だってもっと経験を積みたいとも思ってるんだよ、それがそんなに悪い事なのかな~」

 それを訊いた一哉は何かが心の中で弾けるような音を感じた。

「なるほどね~、それも一興か・・・・・・」  

「そうだよ、だから兄貴もあんまり悩むなよ、俺が言いたかった事はそういう事なんだよ」

 一哉は初めて弟に教示を受けたような心持になった。あんなに小馬鹿にしていた弟、大雑把で品がなく無神経で不作法な弟、こいつが今までの人生で初めて役に立つ事を言ってくれた。世間一般からすればそれも言うまでもない事かもしれない、だが繊細過ぎる一哉にとっては我が弟から言われたこの一言に目を開かせるものがあった事は事実で、これからの人生において教訓にもなる。

 そう思った一哉は初めて自分の方から弟に握手をしたのだった。

 

 翌日三人の家族は旅を十分満喫して帰途に着く。一哉にとってもそれは大いに成果のあった旅であり、なにより親孝行が出来たのが一番嬉しかった。

 この非日常とも言える旅行は三人を心身ともに癒し、また始まる日常へと誘(いざな)う。

 日常と非日常、この境界は何処にあるのであろう、周りの光景だけに依るものなのか? それとも自分の心情的なものなのか? これは一哉にも分からない。だがこの非日常も悪くはないと思った一哉はそれからも度々遠方へ一人旅をするのであった。

 一哉はこんな余り抑揚のない、良い意味で刺激のある今の心情を保ち続けたいと思いながら、また俳優業に精を出すのであった。

 

 

 

 

 

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