人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

自作小説

まったく皺のないTシャツ 最終章

佳人薄命。生前の奈美子といい今回一哉が観た夢といい、美しい彼女の姿は何処か脆弱で切ない雰囲気を漂わせる。 だが奈美子は決して卑屈になる事はなく、寧ろ生き生きとした様子で常に微笑を浮かべながら一哉に語り掛ける。一言発すると少し一哉の前に進み、…

まったく皺のないTシャツ 三十五章

一哉は眼前に拡がる夥しいほどの鮮血に戦慄した。奈美子はその血の海に沈むように、ぐったりと身体を横たえている。床には包丁に割れたグラス、白い壁は真っ赤に染められ、テーブルの上には大量のコカイン。その惨状は一哉を発狂させた。 「うぉぉぉーーー!…

まったく皺のないTシャツ 三十四章

奈美子の策は失敗に終わった。何故だ? 何故今になって一哉は覚醒したのだ? 確かにまだ一抹の不安は残っていたが事は9分通り巧く運んでいた筈だ。 窮鼠かえって猫を噛むとは言ったものだった。だが鼠に獅子は倒せないとも言う。そして獅子は兎を捕らえるに…

まったく皺のないTシャツ 三十三章

一哉がこれほどにまで急速に落ちぶれてしまったのは、彼の繊細さが災いしたとしか言いようがない。それに付け入るように奈美子は更なる注文まで付けて来る。 通勤時は車で送り迎えまでしろと言うのだ。流石にこれは言い過ぎだとも思えるのだが、もはや腑抜け…

まったく皺のないTシャツ 三十二章

それからも一哉は仕事に励み快活な毎日を送る。劇団員でも先輩からは可愛いがられ、同僚達とはその演技力を競い合い、後輩には助言を与える。芸能界の醜い人間関係に嫌気が差してした一哉は何時しかこの風通しの良い雰囲気に慣れてき、もう一生舞台俳優のま…

まったく皺のないTシャツ 三十一章

巡り行く季節にさえ頓着が無くなった一哉は劇団での芝居にも身が入らなかった。そんな彼の思いを憚った座長は事務所の社長と図って一哉に一時休憩するよう促す。 しかし一哉はそれを承服せず、初心に戻り精進して行きたいとの旨を伝え仕事に励む事にする。こ…

まったく皺のないTシャツ 三十章

何時になっても社長は来ない。痺れを切らせた一哉はマネージャーを問いただす。 「どうしたんだ? 一体何があったんだ?」 彼は未だに口を開こうとはしなかったが、一哉の気迫に圧倒され、怯えながらもようやく話をし出した。 「実は、この先のスケジュール…

まったく皺のないTシャツ 二十九章

奈美子の言った事に少しは動じた一哉ではあったが、取り合えず薬は辞めてくれたので、後はそれからの話と割り切り仕事に精を出す事が出来た。 月日の経つのは早いもので、この前始まったばかりと思っていたドラマ撮影ももはや終盤になり、クランクアップを迎…

まったく皺のないTシャツ 二十八章

翌日も仕事が忙しい一哉ではあったが、どうしても奈美子と話をするまでは病院を去る事が出来なかった。 朝になり日が昇り出すと辺りは自ずと忙しい様相を見せる。その音で目が覚めた一哉は廊下を歩いて来た看護師から吉報を訊かされた。 「大丈夫ですよ、幸…

まったく皺のないTシャツ 二十七章

年末年始に十分休暇が取れた一哉は今年も更なる飛躍を目指し仕事に勤しむ。その姿はもはや嘗ての気の小さかった、いじいじとした優柔不断で何に対しても常に迷いがちだった彼ではなく、傍から見ていても実に頼もしい好青年といった気配を漂わす。 それは彼が…

まったく皺のないTシャツ 二十六章

秋の終盤を迎え少し寒さを感じ出した頃、ドラマ撮影では主役である林との絡みがあった。一哉は自分に目を掛けてくれていた先輩俳優を通じて脚本家でもある監督とも話をつけ、また少し脚色して演技する了承を頂いていた。 林は何時の無く警戒心ムキ出しと言っ…

まったく皺のないTシャツ 二十五章

一哉は深い海のような夢の世界に誘(いざな)われていた。 夢には二種類の意味があり、一つは将来実現させたいと思っている希望や願いを指す夢と、もう一つは睡眠中に観る観念や心像が齎(もたら)す幻覚という夢。 当然彼が今観ている夢は後者なのだが、そ…

まったく皺のないTシャツ 二十四章

今や劇団でも看板俳優になった一哉は舞台にドラマ、バラエティー番組にも出るほどの売れっ子になっていた。それはとりもなおさずみんなのお陰であり一哉本人の実力でもある。2年前にこの養成所(劇団)に入ったばかりの一哉には考えられない事で母も大喜びし…

まったく皺のないTシャツ 二十三章

我が道を 阻むは己が 心かな その後もとんとん拍子でドラマ出演のオファーは舞い込み、一哉は今や一端の俳優に成長していた。そこそこ食って行けるようにもなった一哉はもはやアルバイトも辞め俳優業一筋に専念するのであった。 しかし唯一気掛かりなのは沙…

まったく皺のないTシャツ 二十二章

奈美子。一哉はこの風俗嬢の名前が忘れられなかった。 その具体的な理由は自分でも分からない。だが沙也加、沙希と今まで付き合って来た二人と比べ初めて自分の方から好きになったような気もする。一哉はまた新たなる恋物語を演じる事になるのであろうか。 …

まったく皺のないTシャツ 二十一章

次の稽古で一哉は思い通りの芝居が出来た。これは偏に沙希の陰である事は言うまでもない。勿論座長や先輩、同僚からも褒められる。一哉は有頂天とは言わないまでもその気持ちは昂り意気揚々と稽古に精を出す日々を送っていた。 しかしただ一つ気になるのは結…

まったく皺のないTシャツ 二十章

あらゆる樹々の梢がそれぞれの新芽の色で朧に彩られる春の一日、人々が新生活をスタートさせると共に一哉の新しい人生も始まる。 もはや大学も辞めた一哉には、それは今までのような学生生活ではなく一端の社会人としての人生の幕開けでもあったのだ。 入所…

まったく皺のないTシャツ 十九章

沙也加は相変わらずの冷静な面持ちで現れた。いくら進む道が違ったとはいえそんなに距離も離れていない二人が意図せずに今まで会わなかった事も不思議といえば不思議にも思える。一哉は取り合えず沙希に紹介した。 「幼馴染の沙也加だよ」 「沙也加です、宜…

まったく皺のないTシャツ 十八章

俳優の世界とは、芸能界とは一体どんなものなのか? 少なくとも平凡なものではなかろう。テレビでは華々しく映るがその実情は外からでは分からない。確かに甘いものでもない、寧ろ厳しい世界であろう。そんな事ばかり考えていた一哉は大学での講義など一切手…

まったく皺のないTシャツ 十七章

ホテルに入った一哉はあまり気が進まなかった。この一哉の心の裡にある誰にも分からない真の感情、それは本人でさえ分からない心理の境地とでも言うべきか、この果てしなく続く人間生命の根源とも言える阿頼耶識。 一哉は仏教になど関心は無かったがふとそう…

まったく皺のないTシャツ 十六章

一哉は大学に進学した。市内にあるこの三流大学は片道1時間くらい掛かる山の手にあったが、電車の窓から見える風景は美しく海までもが一望出来る。そんな風景に魅了された一哉は意気揚々と学生生活をエンジョイするのであった。 大学でも水泳部に入ったのだ…

まったく皺のないTシャツ 十五章

一哉はとにかく沙也加が煙草を吸っている事に愕きを隠せない。 「お前、煙草なんか吸う奴じゃなかっただろ? 似合うわねぇよ」 「相変わらず神経質なんだね、人の勝手でしょ?」 「ところで何でここに来たんだよ?」 「ただの散歩よ」 「寒いのにな~」 「あ…

まったく皺のないTシャツ 十四章

その後も二人は良い関係を保ったまま3年生になった。 紅葉の花が実に色鮮やかに咲き乱れるこの秋という季節は一哉が一番好きな季節であり、読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、そして恋愛の秋と。 夏の総体を有終の美で終える事が出来た一哉であったが、それ…

まったく皺のないTシャツ 十三章

一哉の腹は決まった。沙希に傷を負わせた奴をぶっ飛ばす。それ以外に方法はない。そいつは沙希が今付き合っている奴に相違ない。これぐらいの事は誰にでも予想出来る事であった。 今年の夏は去年にも増して暑い。いくら温暖化が進んでいるとはいえこのまま暑…

まったく皺のないTシャツ 十二章

夏休みに入った一哉は益々部活動に精を出し、日に日に逞しくなるその姿は心身共に凛々しく、眩しい陽射しにも負けないほどの燦然とした輝きを放つ。それは他の部員達とて同じでこれこそが若さの象徴に相違なかった。 夏休中の練習では先生がいる時といない時…

まったく皺のないTシャツ 十一章

一哉の心は昂揚感で充たされていた。沙也加のように幼馴染でもない沙希と高校1年生のこの時点で早くも仲良くなり水泳に勉強、アルバイトと。全ての事象が澱みなく流れる川のように澄み切っていて美しく思える。神経質な一哉が待ち望んでいた光景はこれなのだ…

まったく皺のないTシャツ 十章

4月下旬、葉桜となって少し緑色を帯びたその花びらは風に揺らめきながら地面に舞い降りる。その一片が頬に触れた時、一哉はこう思うのであった。 何時か沙也加と公園で話をしていた時も桜の花びらが沙也加の頭に落ち、それを美しく思っていた事をつい最近の…

まったく皺のないTシャツ 九章

雨は結構勢いを増し、沙也加の家に辿り着いた頃には大粒の雨滴が容赦なく一哉の頬を濡らす。その雫は自然と頭から顔、顔から身体と流れ落ちて行く訳だが、それを冷たくは感じないまでも心に沁み込む様が実に切ない。一哉はただ黙って沙也加が出て来るのを待…

まったく皺のないTシャツ 八章

翌日学校へ行くと先輩達は早速謝って来る。 「俺達が悪かったよ、許してくれよ」 「分かって下さったら、それでいいので」 よっぽど上からヤキを入れられたのだろう。だがそんな事は一哉には余り関心のない事であった。 今日も夏真っ盛りな晴天で陽射しは強…

まったく皺のないTシャツ 七章

それからというもの一哉は沙也加とは会わない日々が続いていた。沙也加からも連絡はない。無理に会おうとしても会ってくれない、或いは会った所で何か悲しい事を言われる感じがしていたのだ。一哉はそんな憂さを晴らすべく水泳に打ち込む。その上達振りは素…