人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

主観性と客観性、二元論と多元論

 

 

          風吹けば  心安らぐ  初夏の空(笑)

 

 

 いやいや、暑くなりましたね 🥵 まだ6月上旬のこの時期に初夏というワードを用いる事は不本意ではありますが、この暑さでは致し方ないかなと思う次第です。せめて風が吹いてくれれば少しは涼しくなるのですが。自分は団扇で我慢しています^^

 ですがそんな気候とは裏腹に、心が熱くなるような事象はなかなか起きてはくれないみたいです。それどころか暑い、暑苦しい、むさ苦しい、醜い、亦氷のように冷たい、冷徹なニュースばかりで嫌になって来るぐらいです。

 またまた硬い内容の記事になってしまう事、ご容赦願いたいと思います^^

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

五輪開催の是非

 まずはオリンピック開催についてですが、自分は反対です。その理由としてはやはりこのコロナ渦でそこまで無理してまで開催する価値、意義があるのかという話ですね。

 これは現状日本の世論の大半を占めているのではないでしょうか。少しづつ下火になっては来ましたが緊急事態宣言を解除すればまた一気にぶり返して行くような気がします。とてもじゃないですけどコロナがこのまま終息するとは思えません。

 確かにオリンピックに向けて何年間も頑張って来た選手達の心情を思うと察するに余りある訳ですが、犠牲者を出すリスクを負ってまで開催を強行するとなると話は変わって来ます。政府やIOC、選手達にそこまでの覚悟があるのでしょうか、あるのなら開催しても良いような気もしますが。

 そして自営業者には時短営業を、国民にも自粛を強いておきながら大した保障も行わない、自分達は相変わらず会食三昧と。こんな状態でもオリンピックだけは是が非でも開催したいというその神経は正に理解不能で、傲慢というか自己中というか、もはや神経自体が通っていないのでは? と思ってしまうぐらいですね。

 とにかく五輪開催の是非についてはもっともっと真剣に、深く議論する必要があると思います。

 

主観性と客観性、二元論と多元論

 そこで今問題になっている竹中平蔵氏の発言なのですが、この人は「世論は間違っている」などとドアホ丸出しな事を言っていたみたいですね(笑) 何故こんな人が未だに政治に携わり菅首相のブレーンという政界や財界の中枢に居座っているのでしょうか。

 まず世論には間違いも正解も無いんですよね。世論とは国民の総意、一般常識、一般論、亦一人一人の意見です。それを間違っているなどと断言する事は、世論自体を否定するもので国民を蔑ろにする愚行は民主主義国家で人の上に立つ者としては有るまじき姿だと思います。彼は何様のつもりなのでしょうか、独裁者にでも成りたいのでしょうか。余りにも浅はかな意見だと言わなければなりません。

 この発言は現代日本人に多いと思われる主観的な発想しか出来ないその思考に起因するものだと思います。何故主観でしか物事を考えられない人が増えたのでしょうか。それは自己中心的という精神構造にも繋がって行くと思います。人の上に立つ人であれば尚更客観性が求められると思う所ですが、そういう人は政治家は無論、自分の人生経験に於いても殆ど居なかったですね。

 現代社会では価値観や思考の多様性が囁かれていますが、それは大いに結構な話だと思います。ですがそれを主張しているだけで他人の価値観や思考を受け入れられない人が多いような気もします。それではその多様性も何の意味も持たず、主観的発想しか出来ないその精神構造は、正に自己中心的で本末転倒だと思います。

 その事は取りも直さず一元論や二元論、多二論との関係にも繋がって来ると思います。つまり主観的見地が一元論や二元論で客観的見地が多元論だと自分は考えます。己が思想信条だけを追求するに当たっては一元論や二元論でも良いかとも思われますが、多数の人と共存共栄して行かなければならない現代社会では多元論こそが必要であると思います。

 それが男と女、上と下、右と左といった感じで未だに二元論でしか物事を考えられない人が多いように見受けられますね。よっぽどの極端な事象でも起きない限りこの世の中に絶体というものはあり得ないと思います。他人の言を受け入れる、他人を思いやる、他人を認める事にこそ人間としての優しさや、受容性、人間性があり、それすら無くしてしまった時人は人で無くなってしまうと言っても過言ではないでしょう。

 自分が好きな三島由紀夫の作品に政治家が「政治に真意は無い」と謳っていましたが、自分はそうは思いません。何故ならばいくら政治が難しい世界であるとはいえ決して特別な世界でも無いと思うからです。それは何の職業でも同じで、同じ人間である以上はどんな職業でも所詮は同じで共通するものなどいくらでもあります。自分を特別視する事自体に人間の高慢があるのです。

 

 時代は流れ今ではありとあらゆる物が進化して便利な世の中になりました。ですが人の心はその時代に追い付いているのでしょうか。当然今自分達が生きているこの世の中は三次元の世界です。それなのに未だに一元論や二元論に囚われている現代人の思考回路は寧ろ時代遅れなのではないのでしょうか。その先の四次元、異次元、超次元を想定するとなれば正に多元論が求められて来る筈です。

 形而上学的には二元論の対義語は一元論という事になっていますが、自分は一元論と二元論の対義語が多元論であるようにも感じる所ですね。

 逆説的に捉えると所詮人間というものは不器用なので心はそう簡単に追い付かないと考える事も出来るでしょう。それならば尚更他人を思いやる気持ちが重要であって、世論を蔑ろにする竹中の意見は言語道断という事になって来ます。

 人は世に連れ世は人に連れ。今の政治家の行いはとても人の想いに寄り添ったものとは思えません。

 上下という表現も好きではありませんが、政治家をお上とするならば、上の者が姿勢を正さずして下々を律する事など出来ません。そして下々はその想いを上に委ね託す。これこそが民主主義の根本であると思います。

 竹中はやたらとマクロ政治を口にしていますが、これも実に滑稽な話だと思いますね。物事には順番があって1があるからこそ2がある訳で、ミクロがあってマクロも存在する訳です。大は小を兼ねるとすればミクロが分からずしてマクロもクソも無いのです。自然の理(ことわり)から見てもいきなりマクロというものは存在しないのです。様々な微粒子、原子に依って世界は成り立っているのです。
 それを省みずアホの一つ覚えでマクロマクロと連呼するこの人は正に何様なのか、王様のつもりなのでしょうかね(笑)

 

 話は長くなってしまいましたが、要は人間味のある政治をして欲しい、そういう世の中になって欲しいという自分の願望ですかね。アホな自分の浅はかな哲学です(笑)

 今日はロックアイスの日らしいですので、自分も一度頭を冷やし美味しい酒でも飲んでみたい所です 😉