人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  二十三話

 

 

 工務店に新しい職人が入って来た。職人といっても素人の見習いで、大卒であるにも関わらず大工になりたいという単純な志望動機で入社して来たらしい。

 村上健司というその男は実に礼儀正しく凛々しく聡明で、それでいながら可愛らしい顔立ちをしており、毅然とした態度で朗らかに話す姿は異性は勿論、男から見ても惚れ惚れするような爽快感を漂わせていた。

「初めまして村上健司です、宜しくお願いいたします」 

 眉目秀麗にして明朗快活。その溢れんばかりの美貌と陽気さに見惚れて口々に称賛の声をあげる職人達。ただその中に一人怪訝そうな顔つきで揶揄する者がいた。

「お前、来るとこ間違えたんちゃうか? ここはモデル事務所ちゃうでな、ふっ」

 英和の先輩であり、この工務店で一番の古株であった冴木というこの男は何時もこんな調子で嫌味や愚痴を口にしていた。英和としてもこの先輩の存在は鬱陶しい限りだったのだが、その最たる理由は皮肉や嫌味を憚る事なく言い放つ所に尽きるだろう。

 どちらかといえば悲観的な性格であった英和にとって愚痴などは十分な許容範囲内で、時としては一方的に訊かされる事も苦ではなかった。しかし嫌味や皮肉には何故か無性に憤りを感じ、たとえ一言だけでも身体が無意識に拒否反応を示すのだった。

 この両者は似て非なるものなのだろうか。愚痴は良くて嫌味は駄目という思考にも些か我儘で拘りのある主観が見え隠れしているようにも思えるが、他者に対する攻撃力という観点に立って考えればやはり愚痴の方がまだ緩いような気もする。

 でも英和が真に身に付けたかった力とはそんな心の葛藤や蟠りをも超える圧倒的な貫禄、全てを凌駕する強靭な精神だった。

 ただでさえ繊細で神経質で小心な彼にそんな飛躍した成長を遂げられる筈もなかったが、この村上健司という男の顔を見ていると何故か心が洗われるような気がしてならなかった。

 まだ二十代前半の彼に秘められたパワーとは何なのだろうか。若さが齎す根拠のない自信か、頭脳明晰な為人か、癒やされるような美貌か。全てが当たっているようで外れているような気もする。

 親方の指示で英和と冴木はこの村上健司を連れて三人で現場に向かう事になった。既に道具等が段取りがしてあった車に颯爽と乗り込む英和はなるべく冴木とは目を合わさず、村上の事だけを気遣っていた。

 運転する冴木はそんな二人の様子を恨めしそうな顔つきで横目に見ながらも、自分も悠然とした態度を装いながら車を走らせるのだった。

 梅雨の晴れ間に差す木漏れ日が窓を通して顔に照り付ける。街を抜けた田舎道には整然と立ち並ぶ無数の杉並木が、その美しい姿で一行を出迎えてくれているように優しい緑を現わしながら風に揺らめいていた。

 その画は村上のような美男子をして更に様に成って映え、思わず自分の容姿を顧みる英和でもあった。とはいえ自分にもそれなりの自信があった彼は不遜にも己が容姿を見せつけるように少し渋い表情をして、カッコをつけて窓外の景色を遠くに眺めていたのだった。

 当然村上はこちらなど見向きもせずただ大人しく坐っていたのだが、冴木に見られてはいないかとルームミラーをちらっと覗く英和も滑稽だった。

 現場に到着した一行は車から降りるなり素早く段取りをして仕事に取り掛かる。冴木は言う。

「英和よ、お前村上のお守り頼むで、俺は一人でえから」

「はい、分かりました」

 冴木と英和の二人は昨日までと同じく部屋のリフォーム工事に手をつけて行く。秩序良く均等に配された床、壁、天井の地組みはその真新しい木材の巧緻な形姿と香ばしい自然の香りに依って美しさを際立たせる。

 人為的に作られた材木もこのようにして綺麗に使われれば本望と言わんばかりに、威風堂々とした笑みを木目に表しているようだ。そうなれば自然の恩恵に肖り、それらを使わせて貰っている人間の巧みな技術と純粋な心遣いこそが当然必要となって来る事は言うに及ばず、その意識的な心意気、心根こそがものを作る上での基本であり真髄であるようにも思える。

 合板を貼って行こうとした英和は村上に対して取り合えずは見ているように、そして掃除などするように指示するのだった。

 次々に貼られて行く板。殆ど隙間なく貼られて行くその様を見ていた村上は言う。

「英和さん、流石ですね、自分もそんなに巧く成れますかね?」

 英和は今更ながら照れた様子で答える。

「これぐらいは直ぐにでも出来るで、ま、君ならあっという間やろ、腹では楽勝と思ったんちゃうん?」

「そんな事ないです、自分なんか釘一本まともに打てませんし」

 如何にも和やか光景の中に英和はまたしても要らぬ想像を膨らますのだった。俺は新入りに媚びているのか、今言った事は本心なのかと。冗談だろうと本心だろうとそこにも完全性は保障されず、自分が口にした言葉に一々自信が持てる者も少ないのではなかろうか。

 だがその自信無くして人と接する事など不可能であり、僅かながらも自信に依って他者を共感せしめるものとも思える。この自信があるか無いかの絶妙な不均衡さが人の精神状態を保つ要因になっている事も不思議といえば不思議で、それこそが人の性、人間社会の常なのかもしれない。

 でも英和が口にした事は決してベンチャラでもなければ媚びを売った訳でもなかった。強いて言うならば村上の余りの清純な心根に触れる事が出来た英和の健気な心根が表した素直な言葉であったに相違ない。

 その後も二人は意気投合したのか色んな話をしながら和気藹々とした雰囲気で仕事を熟して行くのだった。

 

 事務所に帰った一行を待ち受けていたのは村上の歓迎会を兼ねた宴会であった。

 それを画策していた親方は用意周到にもいち早く普段着に着替え、皆を連れて店に向かう。或る程度予想はしていたものの、何時になく嬉しそうな親方の様子を訝る英和はこの宴会の席で言うべき事を腹に秘めていたのだった。

 何度か訪れた事のあるこの居酒屋には顔見知りの店員と風格のある店主が一行の到来を歓迎してくれる。

「いらっしゃい!」

 店主の厳つい顔つきはそれとは裏腹な優しさを投げ掛けてくれ、頼もしくも見える。その大きな声に促されるようにして席に着く一同は取り合えず生ビールを注文する。

 一行といっても親方と冴木、英和、村上、そしてあと二人は一応職人というだけの事務員兼掃除当番の親方の昔馴染みの作業員みたいな人達で、結構な年齢でもあった。

「乾杯! おつかれー!」 

 仕事のあとの一杯は何とも言えない旨さで、その喉越しは全身にまで染み渡る。この為に仕事をしているのかと言えば大袈裟だが、確実にろうを労い、心を癒してくれる酒という飲み物には或る意味魔法の力も感じられる。

 直ぐにでも飲み干すであろう事を予測していたのか、一人の女性店員が次のビールを運んでくれた。そして愕いたように声を上げる。

「え! ジャニーズみたい! めっちゃカッコええー! 握手して下さい!」

 少し照れながら手を差し出す村上は可愛かった。間髪容れずに英和が調子に乗った言葉を告げる。

「俺とどっちがカッコええ?」

 その女性店員は何ら躊躇する事なく、ありのままに答える。

「英和さんとは質が違うしな、カッコ悪いとは言わんけどあんたの風貌はちょっと時代遅れかな、はっはっ、ゴメンやで」

 一同は笑っていた。でもこれは英和にも想定内であった為大した動揺はなく、寧ろ村上がウケている事に喜びを覚えるほどだった。

 そして次々に豪勢な料理がテーブルに運び込まれ、一同は遠慮する事なく食べ始める。山海の幸に肉にフルーツ、ご飯まで、まるで店のメニューを全て出されたようなテーブルの上に並べられた料理の数々は忘年会を思わせるような豪華絢爛な装いで、贅沢にさえ思える。

 笑顔で食する皆の表情は明るく、それを見つめる店主も優しく微笑んでいる。

「遠慮せんで食べてくれよ! 今日はちょっとマケとくから」

「有り難う御座います」

 そんな微笑ましい雰囲気の中、英和は想いを告げるタイミングを計っていた。この期に及んでも尚そう企む彼の精神構造にも憂うに足りる点があったであろう。だがそれを言わない事には踏ん切りがつかないのも事実で、そんな仕草を一切見せず皆と語らう英和だった。

 親方は言う。

「いや~村上君みたいな男前が来てくれてうちも万々歳やで、これでまた仕事も増えるやろ、な、店長!?」

「そうやな~、こいつなんかもう惚れとうみたいやしな」 

「店長止めてって!」

 少しバターで炒めた生ガキは美味しかった。それを頬張る皆の表情は幼子のように可憐な目で忘我の境地に浸っていた。また親方が言う。

「ところで村上君、君は村上源氏の末裔かね? 健司の「け」を「げ」にしたら村上源氏そのまんまやでな」

 一同は爆笑した。その理由は親方が言った、

「かね?」

 という言葉だった。関西で語尾に「かね」などを付ける者は殆どいない。いくら高齢であったとはいえそんな言葉を口にする親方のセンスを笑っただけであった。

 でも歴史が好きであった英和は源氏の末裔という言葉の方に敏感に動じていたのだった。確かに親方が言うようにその可能性を勘案する英和。でも答えた村上の言はそれを覆す冷笑を齎す。

「違いますよ、村上なんていう名前どこにでもあるでしょ、勘弁して下さいよ」

「そうなんか、可能性はあると思うけどな~......」

 親方は素直に残念がっていた。そこで更に憫笑が巻き起こる。何れにしても笑う事は良い事で気持ちが解れたどころか盛り上がって来た一同はまた料理に手をつけて行く。そんな中、やはりというべき一人は相変わらずの怪訝そうな面持ちで、しらけた様子で初めて言葉を表すのだった。

「お前ら、ええ調子やな~、こんな若造に何でそんなに気遣うんやってな、ふっ、馴れ合い仲良し倶楽部もええとこやでな」

 この一言で場は一気に静まり返ってしまった。冴木にものを言えるのは親方だけであった。

「おい止めよ、こんな場まで汚す事ないやろ!」

 冴木は親方に謝るどころか不貞腐れた態度を取って貧乏ゆすりをしていた。でもこれこそが英和にとっては渡りに舟で、千載一遇の好機と言わんばかりに腹を括ったカマシを入れる。

「おい裕司よ、われ親方の身内やからって調子乗っとったらあかんどゴラ、今までも散々いびってくれたでなおい、健二に対してもそうや、まして親方に対してその態度何んどいや? マジで喧嘩売っとんかゴラ? それで筋が通るんかいやゴラ!」

 これで場は更に凍り付いてしまった。流石の冴木も動揺を隠せないという様子だった。完全に切れてしまった冴木は店の隅に置いてあったビール瓶を手に取って英和の頭をブン殴った。気を失った英和は床にひれ伏したまま微動だにしない。

「お前誰に向かって口利くいいとんねんゴラ!」 

 慌てた親方は息子である冴木裕司の身体を制し、英和の安否を確かめる。

「おい英和! 大丈夫か!? しっかりせえって!」

 頬を叩いてもびくともしない英和だったが、その目、その口元は辛うじて働きを失わず、ピクピクと反応している。そして彼は夢想の裡に決心していた屈強な想いを打ち立てるべく俄かに身を起こし会心の一撃をお見舞いする。その回し蹴りは確実に冴木の鳩尾を捉え、二発目のパンチは深く顔面に喰い込む。

 今まで敢えて静観していた店主もここで満を持して立ち塞がる。

「もうええ、辞め!」

 その声は強大な威厳を以て店内に響き渡る。

「うぅぅぅ......」 

 肩を担がれ何とか立ち上がる二人は未だその目を睨みつけながら息を弾ませていた。

 互いに命に別状はなかったとはいえ、今後どのようにして生きて行くというのだろうか。特に英和はこの時に人生を懸けていたとでもいうのか。

 こんな状況にあっても尚爽快な美男子の風采で屹立する村上健司にあったのは、荘厳とした面持ちが表す鋭い眼差しであった。

 

 

 

 

 

 

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