人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  二十八話

 

 

 貧しいようで豊か。裕福なようで貧困。世の無常の中にも特に日本という国はそういう漠然性を帯びているような気がする。

 それは好不況だけといった経済的な概念で表される単純なものだけでなく、人が皮膚感覚で覚える世界観のようなもので、個人差はあれど戦後目覚ましい発展を遂げて来た日本を客観的、総体的に見た場合、真に裕福な国だと言い切れる者など居ないようにも思える。

 資源が余り取れない日本に景気の安定性を求めるのも或る意味では酷な話かもしれないが、だからといって外国を羨んだり、市場の近代化、西洋化だけを図ろうとする短絡的思考には嘲笑を禁じ得ない。

 真のグローバリズム、国際化社会というものはあくまでも自国の文化文明を尊び、それを基準とした上で諸外国と付き合って行く思想にあると思う訳だが、今の日本を見ているとただ西洋を初めとする外国に進んで飲み込まれて行こうとしているような脆弱性を感じてしまう。

 何れにしても常に変動する経済も生き物で、それを動かしている人間も自然も万物全てが生き物である以上、怠惰を貪っている者はいざ知らず、何某動いていればどうにか生きて行けるというのが人間社会の理であろう。

 相変わらずギャンブルなどに身を窶す英和もそんな当たり前の思想を胸に秘めながら、葛藤しながらも静寂の裡に日々を過ごしていた。

 このギャンブルというものも摩訶不思議なもので、実に馬鹿馬鹿しい話だが勝ち負けを繰り返しながらも何とか凌いで行ける世界でもある。たとえボロ負けしても、借金しながらでも以外と金は続くのである。

 その裏には当然生活が立ち行かなくなるほどの悲惨で、苦渋に充ちた憐れな倒錯者の感嘆がある事は言うに及ばず、中には自責の念、良心の呵責に耐え切れず自裁を試みる者もいる。

 そこから這い上がる術は悲壮感だけなのである。仮に誰かから大金を授かったとしても何の解決にもならなければ、心が充たされる事もない。亦そこまで自分を追い込まなければ味わう事が出来ない真の射幸心、つまりは刺激なのである。

 よくよく考えてみれば英和のような者はその刺激や悲壮感を得る為に敢えてギャンブルに身を窶していた可能性もあった。それを証拠に彼はたとえ大勝ちしたとしても何か物を買ったり、大判振る舞いをするような事は一切しなかったのだった。それどころか金銭感覚が麻痺しているとはいえ儲かった所でまず喜ぶような事もなかった。

 それはどうせ何時かは負けるだけとただ先々の事を憂慮するだけではなく、金を手にした時点で味わう虚しさを無意識の裡に感じ取っていたからだった。

 ギャンブルだけに限らず、仕事でも交友でも恋愛でも何でもそうだった。彼の人生は何時も虚しさと闘って来たようなものだった。感謝が足りないのだろうか。ロボット人間を徹底して嫌う彼自身が感情表現に貧しければ正に本末転倒である。寧ろそれを得る為にこそ生きているとでも言うのか。

 でも仕事等、ギャンブル以外の事は少なからずギャンブルよりも感性を豊かにはしてくれるような気がする。

 そう思う英和は真面目に就活に勤しむのであった。

 友人、知人、ハローワークに求人誌。本職である大工以外の職業も視野に入れて探していたが、どうもしっくり来るものはない。賃金に拘るつもりがなくとも一般職などは単価が安過ぎる。年齢的な事もあり、ただでさえギャンブルに明け暮れている今の自分にそんな贅沢が言える筈もなかったが、何か気が進まない。いっそ冴木の親方に言ってまた世話になるかとも考えたがそれだけは出来ない。今更どの面下げて会いに行くのだ。たとえ向こう暖かく迎えてくれても自分のなけなしの矜持が許さない。

 途方に暮れる彼は何時もの喫茶店に入り、独りお茶を飲んでいた。客は殆どいなかった。カウンターに坐って寛いでいると、暇そうにしているマスターが語り掛けて来る。

「英君、最近仕事暇なんか? この前も昼間に来とったでな」

 英和は少し照れながらも正直に答えてしまった。

「実は仕事辞めたんですわ、色々あってね」

 マスターは何ら愕く事なく、悠然とした態度で言葉を続ける。

「そっかぁ~、俺の知り合いでもそんな奴ようけおるわ、でも何かしとかんと食って行かれへんやろ? せっかく手に職があるのに勿体ない話やなぁ~」

「自業自得なんでしょうがないですわ、仕事探してはいるんですけど、なかなか見つからんしねぇ......」

 マスターは自分のコーヒーを一口飲んだあと、英和の目を見据えて言う。

「そうや、暇なんやったら、そこの壁とドア直してくれへんか? 勿論金は出すで」

「え?」  

 と言って英和はマスターが指差す方向に目をやった。確かに老朽化が進み壁板が少しふやけて膨らんでいる。ドアも昔ながらの古びた造りで色褪せている。直す価値はあると思うが即答出来なかった彼はこう訊くのだった。

「でもマスター、この昔ながらの情緒ある雰囲気がええんとちゃうますか? 自分はこんな感じが好きですけどね」

 マスターは含み笑いをしながら答えた。

「なるほど、英君はそういう考え方か、それやったら大工なんか出来んわな、でも店主である俺がええ言うとんねんからやってくれへんか? 頼むわ」

「分かりました、じゃあやらせて頂きます」

 気が進まないまでもマスターの情に負けて、というより断る勇気がなかった英和は一応する事にした。

「おう、やってくれるか! じゃあ定休日の水曜日はどないや?」

「はい、それで結構です、有り難う御座います」

 こうして図らずも久しぶりに大工の仕事に励む事になった英和であった。

 

 この頃、康明もまた無職となり就活に東奔西走していた。元塗装工でありながらも技術職には全く興味がない彼は、車好きだった事から運転関係の仕事ばかりを好んでやっていた。

 トラックの運転手、バスの運転手、トレーラー、ラフタークレーン等、多数の資格を有していた彼は様々な仕事に就き精進はしていたものの、如何せん英和と同じく堪え性に欠け、何処へ行っても長続きした試しはなく、職を転々としていたのだった。

 そしてそれこそ暇潰しのように英和に電話をして、愚痴ばかり零すようになっていたのだった。

 英和としても話し相手になる事自体は全く苦ではなかったので、躊躇う事なく電話に出る。ただこの前の一件といい、どうも康明の変容振りには看過出来ないものを感じるのだった。

「おう、まだ生きとったんか? しぶといのー」

 その声だけは相変わらず元気な康明で、卑屈な様子は一切感じられない。

「おう、何とかな、お前はどうやねん? 仕事見つかったんかい? お前はようけ資格持っとうし何処でも行けるやろ」

 康明は少し間を置いて答え始めた。

「お前な、知ったかすんなって、お前に何が分かるねんてな、俺は必死に足掻きながら就活しとんねん、今もそうや、お前なんか博打しとうだけやろ、俺の苦しみが分かってたまるかいや」

 これも相変わらずといえばそれまでだが、ここまで怒る事はないと思う英和。自分な何も言ったつもりはない。それなのに何故ここまで言う必要があるのだ。

 でも怒ってばかりいても堂々巡りになると判断した彼は気を取り直して口を開く。

「分かったから......」

 電話は既に切れていた。話の最中に、それも向こうから掛けて来ておきながら何もい言わず一方的に切るとは無礼にもほどがある。キャッチホンすら認めたくないほど古典的な英和にとってこの仕打ちは正に青天の霹靂、その非人道的で人を侮蔑するような態度には烈しい憤りを覚える。

 更に少々短気であった彼にはこの一瞬で康明に対する恨みが込み上げ、叩きのめしてやりたいという衝動までもが湧き上がって来る。でもそれだけはしまいと冷静を装う彼であろうとも、ならば訣別するしかないといった飛躍した条件が付き纏う。

 やはり康明は変わってしまった。何が彼をそこまで豹変させてしまったのか、ここ数年で何があったのか。付き合いを続けていた英和にもその真相までは解らない。訊いた所で何も言うまい。これで親友と呼べるのだろうか。

 これ以上相手にする事を憚られた英和は何も考えない事にし、家に帰って酒を飲んでいた。

 1時間ほどが経った頃にまた康明から電話が掛かって来た。取る気になれなかった英和はそのままにして酒を飲み続けた。だが何度も何度もしつこく掛けて来る。

 いっそこっちから切ってやるかと思いはしたが、つい電話に出てしまった。

「お前、舐めとんかいや! 何がしたいんどいやゴラ! え!」

 康明は何ら悪びれる事なく発言し始める。

「何を怒っとうねん!? 俺が何かしたんか?」

 英和は電話に出た事を後悔していた。でもこうなった以上は真正面から事に当たるしかない。更に烈しい怒声を浴びせる英和。

「お前ええ加減せーよゴラ、何で途中で電話切るんやー言うねん! で、また掛けて来るんかい! どういうつもりやねんゴラ!」

「そんな事で怒っとんかいや、お前も相変わらずやな~、大人になれよ」

「大人になるんはお前の方やろ、この年なって礼儀も知らんのかいや、頭沸いてもたんか? おー!」

「はいはい分かりました、すいませんでした」

 康明はヤケクソになった様子でまた一方的に切ってしまった。

 この瞬間英和決めたのだった。もう完全に決別する事を。

 それにしても何かがあったには違いない。そう断定する英和は不本意ながらも康明の心理状況を細かく分析しようと試みる。でもヒントすらないこの状況ではいくら考えても答えなど出て来る筈もなかった。

 とはいえもはや電話などする気にもなれない。ここにこそ親友であるが故の切っても切り離せぬ因果因縁というものがあるのだろうか。

 酒も進まない彼は康明の母御が入院しているであろう、近所の有名な総合病院に出掛ける。

 予想は的中して母御はこの病院に入院していた。受付で部屋を訊いた彼は迷う事なく病室に赴き、母御の見舞いをするのだった。

 母御はすっかり痩せこけ、以前のような元気も覇気もない、衰弱し切った身体で横たわっていた。気休め程度の花を持参していた英和はそれを傍らに置いて話し始める。

「おばちゃん、久しぶり、具合どうですか?」

 重たげに瞼を開けた母御は明るい笑みを浮かべながら口を開く。

「ああ、英君、わざわざ来てくれたんか、ありがとうな、ま、私ももう年やからな、何時死んでもおかしないし、でもあと一回ぐらいは家に帰りたいけどな」

 母御の言には何とも言えない哀切な漂いが感じられたが、それとは裏腹に醸し出される明るさは一時的にも哀しさを葬り去ってくれる。これも親子の縁で、生来冗談が好きだったこの母子はこの状況にあっても決して卑屈な表情を人に見せる事はなかったのだった。

 これが英和にとっても悩ましくも羨ましい所で、不器用で何時も真正面からしか事に当たる事が出来ない、なかなか変化球が投げられない自分の急所を衝かれたような気がしてならない。

 ただお節介ながらもこの母御の為人から康明の性格を類推した場合、年の功にも依るとはいえ人間が出来ている母御に対して、息子である康明にはまだ冗談を言って明るく振る舞う事だけに執着している感があり、三十代半ばになる今でもまだ成長し切っていない雰囲気はあった。

 それは別に上からものを見る訳でもなければ馬鹿にするつもりもなく、如何に経験値を積み上げても有事の際には逃げる癖がついているような節が感じられるのだった。

 それに引き換え母御はこの状況でも常に気丈に振る舞い、寧ろ見舞いに来た英和に安らぎを与えてくれるぐらいだ。

 でもその結果、英和は康明の事を訊きそびれてしまった。もしかすると母御は英和の気持ちすら見透かしていたのかもしれない。その可能性を感じた彼は、

「早く元気になって下さい、康明君も淋しがってますし、おばちゃんやったら直ぐ退院出来ますよ、では失礼します」

 そう言い置いて立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 

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