人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

汐の情景  二十六話

 

 

 陰と陽。速さ遅さ。強さ弱さ、脆さ。これら世に現存する様々な対照は相反性だけを表すものではなく、それ自体が二極一対、表裏一体で、どちらか片方だけでは成り立たない、片方だけが存在する事は不可能だろう。

 だが普通の人間なら良い方だけを選び、悪い方にはなるべく目を向けようとしない。つまりこの時点でその者の弱さが表れている事は明白で、如何に人間の情が働いているとはいえ、その内なる弱さに意識的に目を向けない事には真の意味での進化は遂げられないとも思える。

 言うは易し行うは難しでそう簡単に出来る事でもない。そこにこそ人の世の苦行とも言える幾多の障壁、困難があり、希もうが希むまいが次々に立ちはだかるバラエティーに富んだ試練という名のアトラクションを一つ一つ熟して行く事も容易ではない。でもいざ乗り込んでしまってからでは時既に遅し、降りる事も不可能であれば無理に降りた所で待ち受けるものは死に相違ない。

 悲観的に見れば何とも厳しく厄介な人生であろう。しかし楽観的に見れば実に面白くも思える。そういう意味では英和が打ち興じていたギャンブルも所詮はアトラクションの一つに過ぎず、悪く取れば無駄な演出であり、良く取れば自らが金を出してまで不幸な憂き目を見る、残虐な快楽を味わっている事になるだろう。

 それに引き換え康明や義久などはその楽観的な性格が功を奏し、三十を超えてもそこまでの苦労を経験していなかったようにも見える。そう高を括る英和は康明との連絡の中でも以前と変わりなく普段通りに接していたのだが、ここに来て些細な疑念を抱くのだった。声は変わらずともその言動自体が不可解極まりない、以前のようなユーモアが全く感じられない、何処か焦っているように見える。

 繊細な英和だからこそ感じ得る康明の変容。それを確かめるべく彼は久しぶりに康明に会う事にしたのだった。

 仕事が終わる頃を見計らってまた夕方に康明の家を訪れる英和。呼び鈴を鳴らすと母御さんが出て来て、

「いらっしゃい、久しぶりやん」

 と愛想の良い声を掛けてくれ、部屋へと誘ってくれる。

 康明はまだ帰っていなかった。もう直ぐにでも帰るという母御さんの言に従い、英和は出いて頂いたお茶を飲み、世間話などをしながら時間を潰していた。

 そして康明が帰って来た。彼は足早に部屋へ上がり鞄を投げ捨ててから、

「もう辞めや」

 などと明るい表情で呟くのだった。思わず笑ってしまった英和は康明の笑いのセンスに改めて敬意を表していた。

 だが母御は全く表情を変える事なく、寧ろ怪訝そうな顔つきで息子を見つめている。高齢であった康明に親御さんは年を取るに連れて益々渋い表情になり、女性ながらも鋭い眼力で息子を睨みつける洞察力は女性ならではの優れた力に依ってその才能を露わにし、周りを畏怖させるような威厳さえ漂わせていた。

 そんな母御を差し置いて更に言葉を続ける康明。

「あ、しもたっ! 煙草買うて来るん忘れたわ、ちょっと行って来るわ」

 そう言ってまた出て行こうとする息子を母御は真剣な眼差しで叱りつける。

「ちょっと待ちんかい、何処行くねん、煙草ないんやったら何でさっき帰って来る途中で買うてけーへんねん! こんな時間に外出て行ってええと思とんか!?」

 英和はここでまた笑ってしまった。流石は親子、そのセンスは甲乙つけがたい。それも芝居ではなく、こんなシリアスな感じでやってのけるとは、お手あげです。

 こんな感じで独り笑う英和にも母御の厳しい眼差しが向けられた。何自分にまでそんな目をするのだ。何か悪い事でもしたのか。その疑いは康明親子の只事ならぬ雰囲気で更に高まり具現化され、自分自身にも跳ね返って来る。

 まさか本当に煙草を買いに外へ出てはいけないのか、母御は真に怒っているのか。だとすれば何故。確かに陽も暮れ外は暗くなっている。でも子供ならいざ知らず大の大人が陽が暮れたからといって外に出てはいけないという道理があるだろうか。今の時代幼子ですら外で遊び回っているではないか。深夜ならまだしも午後7時半というこんな時刻に。

「分かったからそんなに怒るなって! しゃーない、英、煙草貸しとってくれや」 

「あ、ああぁ.......。」

 英和は躊躇いながらも自分の煙草を差し出し、今起きている事を整理していた。これは母御が過保護過ぎるのか、それとも敢えてそんな生活習慣でも取っているのか。

 何れにしてもおかしい。不自然極まりない。母御の想いは想いとしても、それに何ら抗う事なく追従する康明も康明だ。口悪く言えば三十代にもなる者には相応しからぬ所業で、気持ち悪いぐらいだ。

 英和は言いたかった。

「お母さんそれはおかしいですよ、自分らもう35ですよ」

 でも結局は言えずにその言葉を腹の中で必死に抑えていた。もしこれが本当に過保護的な意味合いを含んでいるのなら一大事とも思える。

 それでも口に出す事を憚られた英和の心にあったのは、他所の家庭の事を干渉するのは厭らしいという常識よりも、この光景自体に戦慄し、恐怖する素直な感情だった。

 

 康明との会話もそこそこに家に帰って来た英和は、この事件とも言える出来事が忘れられず母としての意見を訊きたく、己が母にその内容を伝えるのだった。

 知らせても母は大して愕きもせず、何時も通りに悠然と構えていた。

「ま、あっこは親御さんが高齢やから息子が可愛くてしゃん-ないんやろ、そんな事よりもあんたはどうなん? 仕事見つけたんか? 何時まで遊び回っとうつもりやねん? 人の事言われへんで」

 これを言われれば英和としても一言も無かった。何時まで独り身でいるつもりなのかと訊かれなかっただけでも幸いだった。

 三十代半ばになっても独身。これは確かに情けない話だ。今の時代そんな人も結構居るという現実は慰めにならなければ興味もない、あくまでも自分の話なのだ。そして結婚願望があるのかと訊かれれば有るとも無いとも答えられない。彼になるのはとにかく自分なのであった。

 それは他者に感心がない事は言うに及ばず、自我に執着し過ぎるが故の無様な本心でもあった。とはいえ他者を思いやる心は必要不可欠で傍観する事など許されない、無論女性が嫌いな訳でもない。要は自分が何者であるかをきっちりと見極めてから先に進みたいというだけの話でもあった。

 それを夫婦となって手に手を取って生きて行く上で見出して行こうとは思わないし思えない。何故なら直子との恋路がそれを証明しているからだった。言うなれば完璧主義なのかもしれない。異性は勿論同性にも隙を見せたくなかったのである。その想いが強過ぎたからこそ直子と別れる事になってしまった可能性もあるだろう。

 凡人などにそれを成し遂げる事が出来るとも思えない。全て理解していても身体が思うように動かない。という事はこの見すぼらしい現状を踏まえた上でも、無意識裡に発展を遂げていた習慣的意識が内なる精神を凌駕してしまっていたという或る種の精神的法則性も浮かび上がっては来る。

 その結果、一般論を含めた思想に対する自己欺瞞が成立してしまう訳だが、では逆に形成されてしまった精神を覆す術などあるのだろうか。そんな方法があるのならそれこそ大金を叩いてでも手に入れたいものである。

 話の最中にまた自分の世界に埋没していたであろう息子を案じる母はこう言う。

「何にしても身体を動かす事や、仕事もせんとじっと考えとうからそんな訳の分からん思想が芽生えて来るねん、水泳でもしたらええねん、完全に運動不足やろ」

 次々に図星を突いて来る母だった。敢えて言い返さなかった英和であれど、一応の対戦は試みていた。確かに母の言うようにじっとしていれば要らぬ思慮を巡らす事にはなるだろう。それが災いして病に冒される可能性すらある。でもいくら仕事やスポーツ、趣味に打ち込んでもその根柢に根差す固い岩盤のような悩みを溶かす事など出来ようか。もし出来たとしてもそれは一時的にそこから回避しただけに過ぎず、謂わば誤魔化しているだけではなかろうか。

 真の解決法とはその固い岩盤を打ち砕き、その身を清める事にこそあるのではなかろうか。つまりは元凶を断つ。元を正さずして報われる進化などありえない。そう確信する英和だった。

 ただ一つ問題なのはその元を正すという作業が如何に至難の業であるかという事であった。強者ならまだしも彼のような見せかけだけとはいえ繊細で、惰弱な人物にそんな大業が成せるとは到底思えない。そこに立ち向かう事さえ儘ならないだろう。

 とはいえ天には天の、地には地の悩みがありいくら身分のある権力のある強者でも全ての悩みを払拭する事など出来る道理もない。

 それでも行く道は行くしかないのが人間社会であり、万物の逃れ得ぬ性でもある。

 吉凶は人に依りて日に依らず。人に旦夕の禍福あり、天に不測の風雲ありとか。

 今日一日で彼が経験した事も所詮は成るべくして成った。来るべくして来た、味わった事柄なのだろうか。だとすれば運命的な試練にも思えて来る。

 何れにしても怪しげな雲行きを感じる英和はその因果を断ち切る事が出来るのだろうか。亦そうしたいと願っているのだろうか。

 今宵の満月は地上を埋め尽くさんばかりの美しい輝きを放ちながら、清楚にも妖艶に佇んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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