サメとワニ
五章 ─神妙─
早くに死別した父が夢に出て来るなど雄一にはとてもじゃないが信じられなかった。
でも何故母はそう思ったのか。寧ろそう確信したような節もあった母の顔には混沌たる思いが描かれているようにも思える。
雄一は思い切って母に訊いてみた。
「何でそう思うんだい?」
「女の感よ、第六感とでもいうのかな」
「なるほど、でもお父さんは何でそんな事を云ったんだろう?」
「それはお父さん自身が昔博打に嵌ってたからよ」
「そうだったの?」
「そうよ、だからこそあんたにはそうなって欲しくなかったのよ、その事をわざわざ言いに夢にまで出て来てくれたのよ」
「・・・」
「だから雄一、もう賭け事はお辞めなさい」
「分かったよ、本当にごめん」
雄一は元々あまりギャンブルには興味が無かったので辞めるのは結構簡単だった。
雄二はみるみる出世して今では課長になっていた。
雄一にとってもそれは想定内ではあった。
だが或る日家に帰って来た雄二はこんな事を呟く。
「兄貴、お金に困ってんじゃないの? いくらか貸そうか?」
一体何を言い出すんだと思い雄一も母も愕いた。
母は言う「急にそうしたの? 何かあったの?」
「別に何もないよ、ただ兄貴ここんとこ博打に嵌ってただろ、だから困ってんじゃないかと思ってさ」
「あんた酔ってんのかい?」
「会社帰りにちょっと引っかけて来ただけさ」
「珍しい事ね」
その日夕食では三人共ほとんど口をきかなかった。
兄弟二人には既に彼女も出来ていた。
雄一は高校生からの同級生で雄二は最近知り合った会社の後輩である。
二人は親孝行しようと思い母を温泉旅行に連れて行く事にする。
秋も深まるこの季節色鮮やかな紅葉に包まれた温泉街はたいそう賑わっていた。
雄一の彼女が一片の落ち葉を拾って云う
「ま~綺麗な銀杏の葉、私黄色が大好きなの」
みんなは軽く笑っている。確かに見事なほどに綺麗な黄色であった。
みんなは辺りを散策し終えてから温泉に浸かる。
源泉かけ流しの硫黄泉で上を見上げると「極楽湯」という木札が掲げられていた。
正にこの世の極楽とはこの事かと思うぐらい滑らかな湯の感触は日頃の疲れを芯から癒やしてくれた。
風呂を上がって夕食に赴く。
そこには贅沢なほどの色とりどりの山海の華が拡がっていた。
こんな美味しいものを食べるのは久しぶり、いや寧ろ生まれて初めてという感じもしないではなかった。
呑んで食べて歌って大いに寛いだ。みんな満足感で満たされている。
酒が進んで来た頃雄二がまた変な事を口走る。
「ところで兄貴、最近どうなの? 上手く行ってるの」
「何がだよ」
「全てがさ」
「そんな事急に言われてもな~」
「正直に言えよ」
「だから何がだよ」
「金に困ってんじゃないの?」
「またそれかよ、もうそんな話はいいから」
「もし困ってんなら何時でも助けてやるから心配するなよな」
「・・・」
母は「もう雄一は賭け事もしてないし何の心配もいらないから」
「お母さんは黙ってて」
「・・・」
雄一はムカつきが込み上げて来るのが自分自身で分かる。
「お前何時からそんな口きくようになったんだ? 親だぞ!」
「そんな事分かってるよ、兄貴は何時になってもマザコンなんだな」と笑う。
雄一は無言で雄二をぶん殴った。
みんなが止めに入るが知った事じゃない。
形振り構わず殴って蹴った。
その後も雄一は弟にも母にも決して謝らなかった。
雄一は直ぐ部屋には戻らず一人で外を散歩していた。
何故あいつはあんな事を云い出したのだろう、最近のあいつは変だ、何かが変わった、昔の優しかった弟は何処に行ってしまったんだ。と思いを巡らせていた。
暫くして部屋に戻ると雄二が神妙な面持ちでこう言った。
「兄貴さっきはごめん、本当に悪い事を云った」
「謝るだけなら誰にでも出来るさ」
「確かに、でもそうじゃないんだ」
「何がだよ」
「自分でも分からないんだよ、でもとにかくごめんなさい」
「分かってくれたらいいさ」
この頃はまだ誰も雄二の変化について知る者はいなかった。
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