北斗の拳の矛盾点&感動シーン
前回まで北斗の拳のおかしな点と感動シーンについて縷々紹介して来ましたが、今日は締め括りとしてそれらをまとめた最終章です。
北斗好きには必見ですのでヨロシク 😉
ケンシロウには先見の明がないのか?
第38話カサンドラ編にてウィグル獄長が蘭山紅拳のベラに母親を救う条件としてケンシロウを倒すよう命じます。
ベラは言われるままにケンシロウに闘いを挑みますが勿論負けます。負けたといってもケンシロウの情に絆され闘いを放棄するのですが。そしてあろう事かケンシロウはベラに「サラバだ」とだけ言い置いてその場を立ち去ってしまいます。すると人質として囚われていたベラの母親は殺されベラもやられます。甘いですよね~ 😒
その後駆け付けた少女からその事を知らされたケンシロウ一味は直ぐに引き返してカサンドラの兵士ターゲル達を倒しますが、それぐらいの事が読めなかったのかって話なんです。何の条件もなくベラが無謀な闘いを挑んで来る訳ないでしょう?と!
ま~こういう事は他にも多々あり、物語では在り来たりな話かもしれませんが、たとえもう少しでも早く助ける事が出来たらとは思ってしまいますね。
仕事人でもそうです。とことんやられた後に仇を取ってやるパターンが多いですよね。でも自分はもう少し傷が浅い内に助けてやる事は出来ないのかと思うんです。
ま~それこそ言い出したらキリがないのですけど、特にこのベラの時はケンシロウが去った後ソッコーでやられてますからね~。北斗神拳伝承者であるケンシロウはしっかり後顧の憂いを絶ってから行くべきだったと思わざるを得ませんね。
この他にもトキがサウザーの身体の秘密を知っておきながらケンシロウやラオウにその事を教えてなかった事や、ユリアがラオウに捕らわれてからやたら色っぽくなった事、リハクやジュウケイがケンシロウの力を見誤った事等色々ありますが取り合えず大きな矛盾点はこれぐらいですかね。
ラストの台詞はラオウやりカイオウの方がカッコいい
北斗では恐らく一番有名な台詞としてはラオウが死ぬ時の「我が生涯に一片の悔いなし」 これだとは思うのですが自分は違います。
前回紹介したシュウの「お前達の心が動いただけで十分だ」これも良いのですが、個人的に一番感動したのはカイオウの「たとえ天地逆となろうとも我が道は変えぬ」これなんですね~ 😉 確かにラオウのもカッコいいですけど自分としては余り芸がないような、それよりもこのカイオウ台詞は実に硬派ですよね。時代錯誤な考え方かもしれませんがこの頑ななまでの一貫性に痺れますね、最高です (*´▽`*)
また硬い話になってしまいますが馴れ合い仲良しクラブばかり演じている今の腑抜けた時代にはない心根だと思います。
ま、所詮アニメの話なので少し稚拙な思考かもしれませんがやはり北斗の拳から学ぶ点は多いように思えますね。
あとこの北斗ならではの「師父(しふ)」というワードもカッコいいですね。これは勿論正式な熟語ではないみたいですが単に師匠が父というのであれば母の場合は師母(しぼ)になるのかという話にもなって来きます(笑)
ついでに言えば三国志などに出て来る「人家」や「過日」もいいですね。これは正式な熟語ですけど現代社会でこういう言い方をする人はあんまりいませんよね。
以上、北斗の拳レビュー最終章でした 😉