人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

七夕は年間行事No.1  ~不変の想い

 

 

           天の川  夢に観ゆるは  七夕か(笑) 

 

 

 笹の葉さらさら~ のきばに揺れる~ お星さまきらきら きんぎんすなご ♫

 

 この歌を思い浮かべるだけでも心が癒され気持ち良くなって来ます。 年間行事や記念日には余り関心が無い自分ですが、七夕だけは本当に好きですね。はっきり言って正月の次に、いや寧ろ同等に好きなぐらいです。

 今日は生憎の天気なのですが、一年に一度の七夕を祝う気持ちには何ら変わりはありません。毎日同じ事ですけど、特に今日という一日は大事にしたいと思います。

 

七夕とは  

 中国、日本、韓国、台湾、ベトナムなどにおける節供、節日の一つで、五節句の一つにも数えられ、その起源は中国の漢の時代に編纂された織女、牽牛の伝説『古詩十九首』に端を発すると言われています。 

 日本には、奈良時代に宮中儀式として伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。

 織姫が機(はた)織りの上手な働き者だったという内容から、手芸や裁縫の上達を願う風習につながり、星に願い事をするという原型はここから来たとされているみたいですね。

  そして織姫と彦星の恋路。いくら伝説とはいえこれほど切ない、憂愁に充ちた恋物語もないのではと思います。

 更にこの七夕は旧暦を元に8月7日に祝う地域もありますよね。自分も福島に出張していた時、そんな話を訊き愕いた記憶があります。

 

七夕の思い出  

 一番印象に残っているのは保育所時代にしていた七夕祭りです。7月7日は朝保育所に登園して、前日から認(したた)めていた短冊を笹の葉に括り付け手を合わせて願い事をしていました。

 そして一日の授業? を終えて夕方一旦家に帰ってから、浴衣に着替え、再度登園して七夕祭りが始まります。一見二度手間に思える段取りですが、これこそが気が逸る瞬間で如何にも祭りが始まるといった気持ちにさせてくれるんですよね。

 そこでみんなで七夕の歌を唄い、花火などをして自分達子供は勿論、先生や近隣住民も一緒になって祭りを盛り上げていました。
 自分はとにかくこの七夕が無性に好きで保育所を卒園してからも小学生、中学生一杯ぐらいまでは家から歩いてほんの数分のこの保育所に7月7日の夕方は絶体に足を運んでいました。

 それが高校生の頃例年のように意気揚々と保育所に行くと路地を歩いている時から音が全く聞こえずに静かな様子に疑念を抱いていました。そして保育所に着いた時落胆します。案の定その日、七夕祭りは開催されていなかったのです。

 その日は晴れていました。それなのに何故? 一体どういう事なのかと思い、家に帰り親に訊いたり、下町だったので近所の人にも訊きました。するとみんなは口を揃えたようにして答えくれました。

「もう子供が少なくなったので、今では七夕祭りもやらなくなってんだろう」

 と。確かにそれも一理はあるでしょうけど、まだ保育所が閉鎖された訳でもあるまいし、何故やってくれないのか? と思いましたね。その後数年の後その保育所は実際に閉園されていました。

 ま、全ては時代の流れという事なのでしょうけど、世間では待機児童問題が騒がれている中、下町の学校や保育所などでは次々に統廃合が成されています。逆に郊外には人が溢れかえっています。この偏りは自分としては哀しい限りですね。やはり下町が生き残って行く事は難しいのでしょうか。

 また暗い話になり恐縮なのですが.......。

 

七夕から学ぶ人生観 

 それにしてもこの七夕、織姫と彦星の恋路には胸が熱くなって来ます。伝説通りとするならばいくらこの二人が下手を打ち、一年にたった一度しか会えない境遇に置かれていたとしても、互いの想いは決して薄れて行く事は無く、それどころか強くなって行くように感じます。正にこの一日だけの為に日々を恙無く生きていいたのでしょうね。

 こんな頑ななまでに相手を愛おしむ恋愛も珍しいと思います。本来ならば二人手に手をとって仲良く人生を添い遂げて欲しい所なのですが、それをさせない所にこそ切なくも儚い、神秘的な漂いがあって、そこには一種の美学、そして心の花鳥風月を感じます。要するに充たされてしまっては有難さが薄れてしまう、或いは無くなってしまう可能性もあるという話なんですよね。

 これは恋に限った話だけでもなく、万事に対して『思い続けてさえいれば何時かは願いは叶う』という事でもあるように思えます。

 こういった話は歌や漫画やアニメ、ドラマ、映画等色んな物語でも往々にして感じ取れる事でもありますが、それを一番の実に感じさせてくれるのがこの七夕だと言っても過言ではないような気もします。だからこそ自分は七夕という行事が一番好きな訳なのですけど。

 この二人の想いはたとえ悪天候で天の川を渡る事が出来なくても、亦カササギが橋渡しをしてくれなくて2年3年と会えなくなってしまったとしても、未来永劫枯れ果てる事の無い正に不変の愛情とも言えるでしょう。その一貫性こそが自分が惹かれる最大のポイントでもあります。

 自分もこの二人を見習い、精進して生きて行きたいと思います 😉