人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  十八話

 

 

 付き合いの酒に付き合いのギャンブル。付き合いという言葉からはろくなものがイメージ出来ない。余り気は進まなかったがギャンブル好きな性質と、酒の影響で多少なりとも気が大きくなっていた英昭は歩みを止めなかった。

 そこは初めて来る店であったが仕事帰りの人達が駆け込む夕方は結構賑わっていた。たとえ一歩でも足を踏み入れるとまるで別世界のような雰囲気を漂わせるパチンコ屋とは一体何なのか。上辺だけとはいえ綺麗な内装の中に響き渡る大きな音と怪しい光、幾重にも積み上げられたドル箱、射幸心を煽られ理性を失った客達の昂奮を抑え切れない様子。

 それらの事象だけでも意志の弱い人間なら我を忘れて堕落してしまう可能性もあるだろう。改めてこんな事を考えていた英昭には精神面での成長も感じ取れるのだが、それとは裏腹に身体は自ずと店の奥に突き進んで行く。この時既に身体と精神は分離、或いは悪い意味で融合してしまったのだろうか。何も考えずに先を歩いていた久幸はもう台に坐っていたのだった。

 英昭は今まで何度か打った事のあるセブン機に坐った。理屈抜きにこの機種なら勝てると思ったのである。その根拠のない自信が功を奏し、遊戯開始5分、投資は最初の500円で彼はいきなり大当たりをゲットする。一瞬にして昂揚感に浸された英昭は心の中でガッツポーズをして早くも勝利を確信していた。大当たりラウンドを終えた彼は保留の図柄変動を見届けてから久幸の下に向かう。

「おい、いきなり当たったぞ!」 

「流石だな~、やっぱりお前は噂通りの玄人(ばいにん)みたいだな」

 祝ってくれる彼の好意は有難かった。更に気が大きくなった英昭は久幸にジュースを奢ってやって自分の席に戻る。保留連チャンこそ無かったものの、勝利を確信していた彼は意気揚々と打ち始める。初当たり図柄は4だったのだが、イブニングというイベントに依って交換しないで持ち玉で打ち続ける事が出来るのも有難かった。

 当時のパチンコは回りが良く大当たり一回の出玉で200回転近く回す事が出来た。それは時間を潰すのにも有効である。だが何時になっても次の大当たりが引けない。次第に焦り出す英昭は時計に目をやる。時刻は既に7時半。このままでは負けてしまう、しかし時間も無い。まだ残業もしていない彼が余り遅くに家に帰ったのではまた母に怪しまれてしまう、でも勝ちたい。錯綜する想いは一層焦りを生み出す。

 気分転換を兼ねて久幸の様子を見に行く。すると彼の足下には10杯を超えるドル箱が積み上げられていた。愕いた英昭は思わず声を上げる。

「おいおい、凄いじゃねーか! 何時の間にこんなに出たんだ!?」

 久幸は少し上から目線で答えた。

「俺も自称玄人なんだよ、お前ほどではないかもしれないけどな」

 その言葉は英昭の勝負根性を擽った。半ば無理矢理誘われていながら断らなかった自分が負ける訳には行かない。訳の分からない理屈ではあるがそれが正直な気持ちでもある。一旦着いた火はそう簡単には消せない。それが燃え上がるような炎なら尚更だ。

 持ち玉を失ってしまった英昭は後先考えずに投資を続ける。やはり彼の精神は完全に機能していなかったように見えた。

 

 

f:id:SAGA135:20210219171014j:plain

 

 

 新しい生活を始めたのは勿論英昭だけではない。あらゆる生命が息吹を上げ始める春を有難く、そして丁寧に粛々と過ごしていたさゆりは大学に入学すると同時にアルバイトを始めていた。

 聡明な彼女が選んだ進路は文学部でアルバイトは或る出版社だった。校正や事務、編集アシスタントに勤しむ彼女の姿は真面目そのものだった。当然ミスする事もある訳だが、何時ものように社員達から褒めそやされる彼女の仕事っぷりは傍から見ていても実に直向きで意欲を感じる。そしてその誠実で素直な性格は人から好かれはしても嫌われる事は無い。

 この日仕事を終えたさゆりもまた酒の付き合いを強いられていた。彼女も英昭と同様付き合いは余り好きではない。でも自分を良く見てくれているであろう先輩社員達の好意を無にする事も出来ないその律儀な気質はそれこそ英昭同様に断る術を知らない。

 駅前の居酒屋に赴いた一行はさゆりを優しくエスコートしてくれる。さゆりは意外と酒が強かった。

「さゆりちゃん凄いね~、酒も強いのか、これは俺達も油断出来ないね~」 

 愛想笑いで誤魔化す彼女に唯一欠点があるとすれば、少し口下手な事ぐらいだろうか。そんな彼女の性格をも見越してか、直ぐ隣に坐っていた一人の女性社員が声を掛けて来た。

「さゆりちゃん、マイペースでいいからね」

「有り難う御座います」

「将来は何に成りたいの?」

 流石のさゆりも少し酔いが回って来たのか少し稚拙にも思える、自分らしくない事を口にする。

「お嫁さんに成りたいです」 

 それを訊いた一同は一瞬沈黙した後徐に笑い出した。

「流石はさゆりちゃん、ユーモアがあるんだね、心配しなくても君ならいいお嫁さんに成れるよ」

 さゆりの一言は大いに場を和ませた。思わず言ってしまった事は不本意ながらも正直な想いでもあった。でもそれが反ってウケた事は特段悪い気もしない。

 その後大いに盛り上がった一同は快活に食べて飲み、充実した時を過ごした。店を出る頃、さゆりはこういう付き合いも悪くはないと思っていたのだった。

「お疲れ~、じゃあさゆりちゃん、気を付けて帰ってね」

「はい、お疲れ様です、御馳走様でした」

 殆どの社員が酩酊している中でさゆりの礼儀正しい声掛けは実に清々しく響く。同じ駅に向かう2、3人の社員達を先に促すようにして後からゆっくりと歩いて行くさゆり。そして電車に乗り地元の駅で降りる。

 道中に聳える春を思わせる樹々の中でも桜の他に目が移ったのは椿だった。桜と比べても遙かに大きい、色の濃いその大輪の花が現す雰囲気は威風堂々とした姿の中にも恋に溺れる者の切なくも明るい、脆弱にも大胆不敵な勇敢さを漂わせる。

 そう感じたさゆりは家に帰る前に英昭に電話をする。ちょっとだけでも声が聴きたい、他愛もない話をしたいだけだった。だがそんな慎ましい想いも虚しく彼は一向に出ない。何故出ないのか、もう眠ってしまったのか。時刻は夜9時半、寝るにはまだ早い気もする。でも礼節を大事にするさゆりはこれ以上迷惑を掛ける事を憚られ素直に電話を切る。だがその表情は僅かながらも曇りを見せていた。

 その頃まだパチンコに熱中していた英昭。彼は手元にある電話が鳴っている事にすら気付かずひたすらパチンコ台と睨み合いを続けていた。あれから幾ら追加投資をしたのか、もはや財布の中身さえも確かめてはいない。

 朱に染まれば赤く成る。その朱が椿の深紅の色とは全く違う意味合いを成す事は言うまでも無い。

 新生活を迎えた者にとって或る意味同じように思える事象でも全く別の思惑を呈する現実。個人差はあれどそれを早くも露呈してしまった二人。薄々は察していながらもそれを実行に移せなかった英昭はギャンブル、恋愛共にさゆりに負けたといっても過言ではないだろう。それに対し少々無理をしたとはいえ事を成し遂げたさゆり。

 この時にして既に二人の間には少々深い溝が芽生え始めていたのかもしれない。たとえそれが意図せずにした事であるともしても。

 

 

 

 

 

 

 

 こちらも応援宜しくお願いします^^

 

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村