人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  二十一話

 

 

 午後8時前、英昭はそのまま駅前にあるパチンコ店に駆け込む。混んでいた所為もあったが時間に余裕の無かった彼は大して何も考えずに行き当たりばったりで空いていた台に坐る。初めて打つ機種だった。データカウンタを見上げると本日の大当たり回数は23回とそこそこの数字だ。これならもう一伸びあってもおかしくはない。

 実に短絡的な発想だが、それが功を奏する場合も結構多い。すると打ち始めて僅か数回転でいきなり大当たりを射止める事が出来た。やはり天は俺に味方しているのだ。この調子で連チャンすれば閉店までにそこそこの出玉が見込める。

 これこそがギャンブル好きな人間の実に甘い夢物語なのだろう。大当たり図柄は6で一回交換してからまた同じ席に着き打ち出す。取り合えず保留連チャンは無かった。その後も全く当たらず追い打ちを掛ける英昭の表情には明らかに焦りが見える。

 時刻は何時の間にか9時を回っていた。当時は10時閉店という店が大半であった。あと約1時間足らず。この間に大当たりを引いて、勝利する事など出来る筈もない。でも彼の手は止まらない。焦りは絶頂に達し顔が青ざめている事が自分でも分かる。

 そうしていよいよ蛍の光が流れ出した。もはや事は決したのだ。今更どうにもならない。諦めにひれ伏した彼の表情には一点の灯りすら感じられない。それこそギャンブルをしない人なら、一体どうしたの? といった感じになるのではなかろうか。

 普段なら絶対に出来ない表情、作ろうとしても作れない表情。何ともいえない引き攣った彼の表情には大袈裟な話、この世の終わりを告げているような悲壮感さえ漂っている。それを打ち消す事は容易では無い。

 やはりさゆりの言った通りにしておけば良かった。自分でも分かっていた事だ。それなのに引き返す事が出来なかった彼の心情は実に情けない限りなのだが、事ここに至っては悔いても始まらない。ならばこのままギャンブル街道をまっしぐらに走り続けるのか。それも軽忽で稚拙極まりない思慮である。英昭は正に出口のない迷路に陥れられたのであった。

 閉店ぎりぎりまで打っていた所為で時刻はとうに10時を過ぎてしまった。また家に帰るのが嫌になって来る。だが帰らない訳にはいかない。項垂れながら帰途に就く彼の足取りは実に重い。閉店後に景品交換所に並ぶ者達を羨みながら駅へ向かう。

 俯き加減で歩いていると誰かが前に立ちふさがる。徐に顔を上げるとその者は薄闇の中も厳つい風貌で鋭い眼光を英昭に投げ掛ける。

「久しぶりだな」

 そう声を掛けて来た人は以お世話になった地元の先輩、澤田さんだった。穏やかな喋り方にも恐怖を感じるこの人はやはりただ者ではない。アウトロー界隈に生きる人の風格と言うべきか。その姿は明らかに英昭のような堅気とは住んでいる世界が違うと言わんばかりの貫禄を表す。

「お久し振りです」

 挨拶をする英昭の口調には一切の覇気が感じられない。この時点で澤田さんは全てを察していたのだろうか。

「お前、まだパチンコなんかしてるのか、その顔だと結構負けたんだな」 

「その通りです」

  ここで澤田さんは烈しい一撃を放った。そのパンチは完全に英昭の鳩尾を捉え息が出来ないほど痛い。苦痛に歪む英昭の顔は抗う術を知らない子供のようだった。

「前に言っただろ、もう辞めろって! お前就職したんだろ? ほどほどに出来るんなら別に構わないが、お前は完全に嵌る性質(たち)だ、だから言ってやったんだよ、それを無駄にしやがって、俺らの世界でも博打やシャブに嵌るような奴は使い物になんねーんだよ、下手打ったらケジメをつけないといけねーんだ、その点お前は堅気だからいいよな~、悪い事は言わない、博打は完全に辞めるんだ、お前はそういう柄じゃねーんだよ、いいな!」

 そう言って立ち去る澤田さん。自分の事を慮ってくれた上での所業であった事は言うまでもない。武を用いるには威を先にするとは言ったものだ。彼の取った行動は英昭を自重させるだけの力は十分あった。

 それにしても痛かった。人生で初めて味わうこの痛み。だが敢えて、強いて言えば肉体に受ける痛みは直ぐにでも消え去る。都合の良い解釈だがそれを精神へと転化させる事も容易ではないような気もする。

 

 

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 冬至から夏至に掛けて一日辺り約1分の割合で日が長くなって行く訳なのだが、それを如実に感じるのは春ではなかろうか。その影響もあってか夜10時過ぎというこの時刻でも精神的にはそこまでの暗さを感じない。

 駅前の居酒屋や商店街の飲み屋などではまだまだ灯りを灯したまま大層賑わっている。路地裏には盛りのついた猫が奇声を上げて彷徨っている。その中で依然として静かにも毅然とした雰囲気で佇む樹々達の姿は英昭にも一時の安らぎを齎してくれる。

 暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も決して狼狽える事なく威風堂々と聳える樹こそが人に当て嵌めると正に真人間であるようにも思える。それは頼もしい限りでもある。

 英昭はそれを見習うかのようにして家に帰った。玄関を開けるとやはり母は居ない。自室へ上がり財布を手に取り中身を改める。高校時代に勝ち続けていた彼の懐はこの二日の大負けを差っ引いてもまだ十分余裕があった。そしてダイニングへ赴き食事をする。テーブルには夕食の支度がしてあった。質素ではあるが美味しそうな何時もながらの母の手料理だ。

 ジャーからご飯をよそぎ、味噌汁を温めて食事をし始める。母の手料理は常に美味しい。これだけの事があったにも関わらず何時になく食が進む英昭。食事が済んだ頃、母が出て来て話出す。

「今日も遅かったのね、残業? 付き合い?」

 英昭は迷わず返事をする。

「ああ、久しぶりにさゆりに会ったんだ、偶然にも駅前で、そこで一緒に飲んでいたんだよ」

「それは良かったわね、じゃあ母さんもう寝るわね」

「おやすみ」

 英昭は体よく母をあしらったつもりになっていた。母も大して疑念を抱いてはなさそうだった。

 再び部屋に上がり彼が思う事は決まり切っていた。たとえ母を騙せたとしても自分までは騙せない。こんな事が続けばそれこそ一大事である。だがそうすれば良いのか打開策は見つからない。

 三つ子の魂百までとまでは行かないまでも、既に身に付いてしまったギャンブル依存症はどうにもならない。今の内に然るべき施設にでも行って処方して貰うのが良いのか。それも気が進まない。はっきり言ってさっきの澤田さんの事など大した効果は無い。とはいえ今の自分にはじ自浄作用が全く備わっていない。ならばいっその事引き連れて行くしかないのだろうか。それも実に消極的な感じもする。

 果てしなく続く人生の試練。自分の愚行が招いた試練。普通の人ならそんなしなくてもいい試練など馬鹿馬鹿しく思えるだろう。だが現存するその試練は明らかに英昭に圧し掛かって来ていたのだ。

 2階の窓から微かに見える都会の夜景。今の彼にはこれすらも綺麗には見えない。さゆりの事さえも悔いるには及ばない。彼を助ける術は何も無いのか。

 さっき見た木。これだけは曲がりなりにも英昭の心を癒やしてくれる。たとえそれが開き直った、歪んだ感情であったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

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