人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

英雄に天下は取れない?

 

 

          風吹けば  心安らぐ  猛暑かな(笑)

 

 それぐらいで安らぐ訳ないやろっ! っていう話なのですが、ここらで一雨降って欲しい所ではありますね 🥵

 それにしてもこの連日の酷暑の中、皆さん如何お過ごしあそばされていますでしょうか。くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げ候。

 ま~世間はコロナに五輪ピック、地震大島優子結婚と相変わらず忙しいようですが、それも一興これも一興で自分としては常に花鳥風月を心掛け、亦夢見て時代に流される事無く流れて生きて行きたいという所ですかね。

 という事で(どういう事やねん?)今日のテーマはタイトル通り『英雄に天下は取れないのか?』というその真意を探るべく、歴史上の偉人から現代社会に至るまで様々な人物を例にとって考えて行きたい思います。 

 

   

天下を取った人物

 まずは一応は天下を取ったであろう歴史上の人物から見て行きたいと思います。

 

源頼朝


 はっきり言って一番嫌いな天下人という感じですかね。この人は何もしていません。結論から言うと弟の義経の足を引っ張り、追い込んで死なせてしまっただけです。こんな奴が征夷大将軍となり幕府を開いた事自体がこの世の不条理を物語っています。

 平治の乱で父義朝が負けてからは確かに苦労したとは思います。ですがその後の一連の源平合戦では石橋山の戦い富士川の戦い、このたった二つの戦をしただけで自身は鎌倉に引き籠り、後の戦は静観、傍観していただけです。

 そればかりか前線で戦っていた義経が功を上げるのを怖れ、梶原景時などという外道を使って戦の邪魔ばかりさせています。この時点で頼朝が如何に狭量であったかが窺い知れます。

 戦を邪魔させて源氏が負ける事でも目論んでいたのでしょうか。それは流石に考えられない事ですが、それならば何故自身が先頭に立って軍勢を指揮しなかったのでしょうか。一体全体何がしたかったのか訳が分かりません。

 そうして壇ノ浦で見事源氏が勝ち鎌倉に凱旋して来た義経を冷遇し、更に追い込んで死なせてしまいます。

 幕府を開き初代将軍になりますが自身は急死し、その後は息子の頼家、実朝も殺されてしまい源氏正統は断絶してしまいます。

 執権となり実権を握っていた北条氏からも全く尊敬されていなかったでしょうね。要するに頼朝はただのアホ、ダボですね。こんな外道は歴史の教科書からも抹殺するべき人物だと言っても過言ではないでしょう(笑)

 

足利尊氏


 この人は自ら戦を好み常に前線に立って活躍していたのでまだマシですね。少なくとも頼朝とは比べ物になりません。

 ですが、室町幕府を開いておきながら何時までも朝廷を南北二つに割っていた事、亦新田義貞や楠正成らと真に輪を保てなかった事を鑑みるにやはり英雄とは呼べない気もします。

 ここで意見が割れて来るとは思いますが、持論としては鎌倉、室町、江戸幕府を開いた将軍の中では一番英雄に近い存在であったとは思いますが、そこまで尊敬、心服出来るほどのものでも無かったという感じですかね。

 

豊臣秀吉


 秀吉についてはそれこそ賛否両論あるとは思いますが、この人も余り好きにはなれませんね。それは何故か、信長の後釜についただけの話だからです。だからこそたった一代で終わってしまったのではないでしょうか。

 特に後半で黒田官兵衛を冷遇し石田三成のような半端者を重宝した事は御館様には有るまじき軽率な行為と言わねばなりません。結果三成までもが関ケ原で家康に敗れ、実子の秀頼も立場を失ってしまった事は全て秀吉の責任と言って良いでしょう。

 自分が天下人であった頃からちゃんと後顧の憂いを絶ち、家康の立ち位置を決めておくべきでしたね。その為にも官兵衛の存在は大きかったと思います。

 依ってこの人も大した事はありません。天下人失格ですね 😒

 

徳川家康 


 これもダメです。秀吉同様信長の権威にあやかってただけの話です。この人がした事と言えば若かりし頃は今川家の人質同然の暮らしをしており、三方ヶ原の戦いでは武田信玄に完敗しています。

「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」とは言いますが、それはあくまでも結果論であってこの人自身は決して大功を立てた訳でもありません。無論結果が全てという見方も出来ます。ですが自身は大して何もしていないのに、漁夫の利を得るような形で天下を取った所でそれは真の天下人と呼べるでしょうか。その上河内源氏の末裔を称する辺りその目出度い性格は天下人の器ではありません。

 どうしようもないですね。英雄などとは程遠い存在です。

 

 という事で一応天下と取ったとされている方々を上げて来ましたが、どれもこれもパッとしませんね~、所詮世の中そんなものなのでしょうか....... 😔

 

天下を取る事が出来なかった偉人

 次は歴史に名を馳せる偉人でありながらも天下を取るまでには至らなかった人物ですね。自分は圧倒的にこちら側の人が好きです^^

 

源義家


 八幡太郎で知られる義家は本当に凄い武将でしたね。自身の活躍ぶりは言うに及ばず、義家産駒の源氏には数々の名将がいます。頼朝だけは突然変異だったのでしょう。

 後三年の役奥州藤原氏と組んで清原氏を破ったのは圧巻でしたね。その後清衡とちょっとした摩擦はありましたが、二人は決して仲違いしていたのではなく、互いを認め合っていました。特に清衡の父、経清を慕っていた所は大好きですね。この人こそ天下人と器だったと思います。

 

藤原秀衡


 奥州藤原氏の三代目という位置づけになるのでしょうけど、奥州藤原が一番隆盛を誇っていた時期ですよね。にも関わらず源平の動乱を静観していた事が悔やまれます。

 初代清衡の頃からあくまでも平和を重視し戦では中立の立場を一貫して貫いていましたが、それは堅実に見えて実はせこい方法であるようにも思えます。

 清盛の頃も頼朝の頃も、この秀衡が大軍を上げて南下していれば戦乱の世はもっと良い形で治まっていたのではないでしょうか。人の上に立つ者は常に広い視野で世間の情勢を見極める必要があると思います。それなのに自分の領地である奥州だけに固執して源平の動乱には対岸の火事を決め込むなど頂けない話です。

 ちょっと悔やまれる存在でしたね 😞

 

平清盛


 神戸人である自分としてはこの清盛も好きなのですが、やはり先見の明に劣っていた感はありますね。嫡男の重盛が夭折してしまった事は痛恨の極みではあったと思いますが、一番の下手打ちは頼朝を生かしておいた事でしょうね。油断が過ぎたと思います。

 よく信長が三国志曹操に見立てられていますが、自分は寧ろこの清盛こそが曹操とは完全に同質の人物であったように思われます。正に日本版曹操、乱世の奸雄ですね。

 

武田信玄


 戦国大名の中で一番好きな人物ですね。戦国細最強と謳われておきながらも上洛の際に病死してしまいましたが、もし生きて信長と戦っていればどっちが勝ったでしょうね。それを言い出せばきりが無いのですが自分は信玄に勝って天下を取って欲しかったです。勝頼を押し立てて上洛する事も絶対に無理だったのでしょうか。

 歴とした甲斐源氏新羅三郎義光の末柄である武田信玄は理を重んじ政務に勤しんでいましたよね。この理というのは何も理屈、理論といった体裁だけの理ではなく、言うなれば『筋』なんですよね。人としての筋道。それは例えはおかしいかもしれませんが極道の仁義にも通じて来るような気もします。これが現代社会というか人間社会に著しく足りていない事のようにも思えます。

 大河ドラマでは父信虎に

「理も嵩ずれば非の一倍」

 などと言われていましたが、勿論それにも一理はあるのですが、しっかりとした理があれば決して人心を惑わす事など起きないと思います。単なる頭デッカチな奴が掲げる理とは正反対であると思います。

 寧ろ信虎は息子の才を妬んで自己投影するような想いがあったのではないでしょうか。だからこそ信玄の謀反は真に謀反とは呼べず、親孝行の証であったようにも思われますね。

 義家産駒には本当に素晴らしい人物が揃っています。信玄には是が非でも天下を取って欲しかったというのが正直な想いです。真の英雄です^^

 

織田信長


 そして信長ですね。天下を布武はしましたけど決して天下平定はしていませんと。始めから秀吉、家康に後事を託すつもりだったのでしょうか。それも考え難い事ではあります。

 歴史上の人物で尊敬するのはと訊かれてこの信長の名前を出す人が多いように思えますが、本当に信長の事を知っているのかと言いたくなって来ますね。それはあくまでも信長の事を異端児とか英雄とか断片的にしか見ていないのではないかという感じですね。無論信長は一代の英雄である事は言うまでもありませんが、彼のして来た事は実は大した事ないんですよね。

 戦国大名としてデビューした当時は殆ど無名な一豪族のような存在でした。桶狭間の戦いで今川を破って一躍メジャーになりますが、それとて信玄の助力があった事は言うまでもありません。無論信玄も信長を頼った訳なのですが。

 その後着々と力を付けて行き足利将軍までをも手玉に取って天下に名を馳せる事になりますが、この辺は確かに曹操とも似てはいます。でもその器には天地の差があったと思います。こんな事は説明するまでもなく感性に依るものですね。

 そして尊敬出来ない最大の点はやはり延暦寺焼き討ちです。これで信長は何千何万という僧侶とそこに住まう人々を殺してしまいました。これは現代社会でいうと完全にA級戦犯であり死刑は免れません。いくら時代が違うとはいえ何故このような人物が英雄として崇められているのかさっぱり分かりません。単なる外道です。

 そういう意味でも信玄や謙信に葬って貰いたかったですね。

 

 という訳で江戸時代まではこんな所ですかね。江戸末期の維新の獅子達もいます。特に坂本竜馬などは早死にせずにその後の明治時代にも活躍してしっかりと後世を見届けて欲しいかったですね。

 そして自分が神とも崇める三島由紀夫大先生。この御方には文学者としてだけではなく総理大臣になって頂き、この腐り切った現代日本社会を浄化させ世界が羨むような素晴らしい国に導いて欲しかったです。

 ま、大袈裟な言い方ですね(笑)

 そして現代の政治家や大企業の社長、自分が今までお世話になった社長の中にもこれといって尊敬出来るような人物はいません。この治世である現代社会にはもはや英雄や真に尊敬で出来るような人物の登場自体が望まれていない事かもしれませんが、それはそれで虚しい気もしますね。所詮世の中そんなものなのでしょうか 😞

 

 という事で以上、英雄に天下は取れないのかという話でしたが、結論、いや結果的には取れないという事でしょうね。淋しい話ではありますけど、仕方ないのでしょうか。文句ばかり言っている自分も何様なんだという話なんですけどね(笑)

 朝曇っていた空もまた夏らしいカンカン照りになって来ましたね。一雨でも降って涼しくなって欲しいですね~ 😉