人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  三十二話

 

 

 英昭の母の容態は連日のように如才無い献身的な看病をしてくれていたさゆりと、その胸襟を開いた会話に依って思いの外早く回復して行くように見える。 

 医師から軽い脳貧血と言い渡された彼女はしっかりとした養生をするよう指示を受け、薬を貰って退院する。

 何とかタクシーに乗り込み一人で家に帰る事が出来たは良いが、この後どうするのかが問題である。人間というものはやはり一人で生きて行く事は出来ないのだろうか。事が起きて初めて胸に想う非力さと憂愁感。それは切なさや儚さなどといったどちらかと言えば綺麗なものなどではなく、凄まじい恐怖に充ち足りた完全な虚無であった。

 食欲が全く無いにも関わらず台所に立ち何かをしようとする彼女。それは単なる習慣なのか姿を消してしまった息子を想う優しさなのか。しかし多少なりとも食べない事には自分の身体にも障ると感じた彼女は徐に包丁を手にしてキャベツを千切りにし胡瓜と合わせたサラダを食べ始めた。

 全く味気が無い。一人っきりで夕飯を食べるのは何時以来だろうか。英昭はたまに帰って来ない時もあったが、それは大して苦にならない。だが息子の先行きが見えないこの状況はただ哀しさだけをを訴える。

 未だ帰らぬ息子を想う彼女の姿は体力的には回復したものの、内心は抜け殻同然の脆弱さを漂わせていたのだった。

 検察に書類送検された英昭は窃盗や建造物損壊など諸々の罪状で起訴され、その身柄も早々と拘置所へと移送された。

 罪人にとっては留置所も拘置所も大して変わらないのだが、何故か気持ちが落ち着く。名は体を表すとは言うが少なくとも警察官よりは紳士的に見える検察官の態度に安心感を覚えた英昭は、ここに来て初めて罪人なりの居場所を見つけたような気がしていた。

 だが所詮は咎人が入るべき場所である。その冷たい部屋の雰囲気は依然として彼の心に浸透して殺風景な間取りはまるで人間に襲い掛かってくるような怖さがある。コンクリートムキ出しの床、壁、天井には何の色も風情も感じられない。無論自由もない。その中で英昭が出来る事といえばただ瞑想するぐらいなものか。

 義正は何処に行ったのか、高校の同級生だった彰俊は、そして何よりも気になる母とさゆりは。外界から一切遮断された現状は初めて経験する者にとっては正に心の拷問であり、異世界である。その中でも尚己を律する事が出来る者は神なのか仏なのか。

 騒音も雑音も何も聴こえない中、英昭は或る想いだけを念頭に焼き付け、それを成就すべく必死にこの責め苦に耐えていたのだった。

 

 

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 友情、愛情、人情、様々な情に依って支配される人間の心。生きて行く上でそれを育む者もいれば薄れさせてしまう者もいる。それこそ現代社会では人が何処かに置き忘れてしまった大切なもののようにも思えるのだが、それを言い出した所で埒も開かぬ事。人は世に連れ世は人に連れ。という言葉ほど便利な言葉もあるまい。その言葉に依って恰も心を失う事を肯定でもしたかのような錯覚に陥る現代人の思慮は浅はか極まりない。何故ならばそれすら失くしてしまった人はもはや生きる屍であり人非人といっても過言ではないような気さえする。

 例えば知り合い同士が口にする挨拶。これも習慣ついている事とはいえあくまでも心から発せられた言葉なのだ。有り難う、すいません、美味しい、不味い、気持ちいい、痛い、と色んな言葉を口にする人間。それら全ては心から生まれた言葉、つまりは感情、もっと言えば情けそのものと言っても良いだろう。

 それなのに感情を露わにしない現代人とは一体全体何がしたいのだろうとも思える。心を失った人間ほど恐ろしいものはないのだ。

 そんな中、何時までも心を失っていなかったさゆりは英昭の面会に行く決心をする。本来ならばもっと早くに行きたかったのだが、ここに来てそう思ったのは聡明な彼女の感性に依るものが大きかったかもしれない。警察署のような物々しい場所で面会すうりょりもこの少し落ち着いた拘置所での面会は彼女が意図せず思い付いた事ではあるが、結果的にそうなった事はやはり彼女の人徳の賜物とも言えるだろう。

 君子危うきに近寄らずという言葉の真意は意図せず危ない場所に近づかないという意味である事は言うまでもない。それはさゆりの行動が示す通りである。彼女は英昭の安否を窺い、母御の容態を知らせたいだけではなく、寧ろこんな時だからこそ訊き出せるであろう真意を何としても知りたかったのだ。

 それは取りも直さず己の真意を問い質す事にも繋がって来る。平時では知り得る事が出来ない真意は有事の際にこそ引き出せるもののようにも思える。

 数日後に面会に赴くさゆりの表情は穏やかだった。街路に佇む紅葉は二人が共通して好んだ木であった。まだ色を付け始めたばかりの紅葉。それは美しくも幼い可憐さを漂わせ、意気揚々と自らを育んで行く。

 自然の強さを人に引き入れたいという想いには己惚れも感じる訳だが、そう思ってしまう人の心も事実ではある。問題はその術なのだが、自然と同化するような真似は昔の仙人や上人にしか出来ない神業であろう。ならばそうすれば良いのか。

 果てしない想いは果てしない課題であり試練にも思える。だが敢えてそこに飛び込もうとする人の所業を浅はかだと笑い揶揄する事など出来ようか。叶わぬ夢を観てそこに挑む人間の姿ほど美しいものは無いように思える。少し大袈裟ながらもこうした想いを胸に秘め面会に向かうさゆり。

 紅葉に限らず街路に佇む様々な樹々は偏にさゆりの応援をしてくれているような感じがした。それを味方に付けるべく歩みを進ませる彼女の心持もまた、自然に負けないような毅然とした強さを漂わすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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