人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

甦るパノラマ  十六話

 

「そんなに深く考えなくても、今の貴方のままでいいのよ」  

 さゆりが発したこの一言は言葉であって言葉で無い。理性ではなく感性。英昭の感覚に直接刺激を与えたさゆりの想いがどれだけ彼を楽にさせたか、その力は計り知れない。安心した英昭は軽く笑みを零す。それに釣られるように優しい笑みを浮かべるさゆり。質は違えど感受性の強かった二人にはこんなやり取りこそが或る意味楽しい試練、超えて行ける壁であったのかもしれない。その壁を一つ一つ超えて来たからこそ今に至る事が出来たのだろう。その具体的な内容までは分からないまでも。

「ご飯出来たわよ~」

「は~い」

 二人を呼ぶ母の声も返事をする英昭の声も心なしか何時もより明るく感じる。階段を下りて行く二人の足音には緊張が含まれている。ダイニングへ赴いた時、また改めて英昭の母に一礼するさゆり。そんな律儀なさゆりの為人を母は嬉しく思っていた。

 急なさゆりの訪問の影響もあってか母はまた豪勢な料理を作ってくれていた。

「頂きます」

 異口同音に発する声は料理を一段と美しく彩らせ、三人の食欲をそそらせる。何から手を着ければ良いのか分からなかったさゆりの様子を見て母は優しく声を掛ける。

「さゆりちゃん、遠慮しないでね」

「有り難う御座います」

 そんな二人のやり取りを他所に一人黙々と食事をする英昭。気が利いて間が抜けているとはこの事か。彼はこういう時に限って無神経な様子を表す癖があったのだった。

 母はさゆりと話がしたくて仕方がなかった。

「取り合えずお二人とも卒業おめでとう」 

「有り難う御座います」

「さゆりちゃんは大学に進学するの?」

「はい」

「やっぱり、貴女のその聡明な人柄は一目見ただけで十分分かるわ」

「そんな事ないです」

「それに比べてうちの英昭と来たら」

 英昭はやっとこさ会話に参加して来た。

「何だよ?」

「この子ももっと頭が良ければ大学に行かせたのにね~」

「俺は早く親孝行がしたかっただけさ、4年も大学に通うなんて考えられないよ」

 さゆりは一瞬英昭の顔を見つめ感心していた。

「口だけでは何とでも言えるけどね」

「そんな事ないと思います」

「そうならいいけどね~」

 軽く相槌を打った母ではあったが、さゆりの言は内心母と英昭を喜ばせた。人というのは不思議なもので会話をする事に依って気持ちが楽になる事が結構あるように思える。勿論その逆も然りなのだが。この時の三人は正に前者であって気が楽になったさゆりは食事も進み、出された料理を思う存分召し上がる事が出来た。

「御馳走様でした、有り難う御座いました」

 さゆりのこの行儀の良さは何なのだろう。一見当たり前のようにも思えるが言葉だけではなく、謙虚ながらも毅然とした佇まいはまるで淑女のような気品を漂わせる。それを感じていた母は自分の息子には勿体ないと思っていた。

 それはさゆりに対する世辞だけではなく寧ろ英昭の将来を案じた母の率直な憂慮から来ていた。この子にはもう少しいい加減な女性の方が似合っているのではないか。何故か理屈抜きにそう感じてしまう母。その想いは些か卑屈にも思えるのだがこれこそが女の勘というものなのだろうか。

「明日も休みでしょ? 今日はゆっくりして行ってね」

「はい、有り難う御座います」

 思わず口にしてしまった母のこの言葉は、それこそ理屈抜きに大して何も考えずに出てしまった言葉であった。

 

 

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 部屋に戻った二人は母から解き放たれたかのような気分で足を崩して寛いでいた。窓外に見える桜は未だ蕾を宿したまま悠然と開花の時期を窺っている。それを見ていたさゆりは徐に喋り出した。

「桜、何時咲くんだろうね」

 英昭は少し切ない表情を浮かべる彼女の肩を抱きながら答える。

「心の桜はもう咲いてるよ」

「ふん、そういうの似合わないわよ」

 愛想笑いをするさゆりの姿は色っぽかった。英昭は更に彼女の髪を優しく撫で上げて今度は真面目に答える。

「ま、あと2週間ぐらいだろうな、早く咲いて欲しいのか?」

「いや、別にどっちでもいいの、私も心の桜を咲かせたいだけかな.......」

 センチメンタルにもロマンチックなこの情景は少々寒気が走るほどかもしれないが、少なくとも今の二人にはその限りでもなく、相通じる想いは二人を遙かなる愛の彼方へと誘う。その場所は悠久の浄土なのか、地獄なのか。一度契りを交わした二人にさえその結末は分からない。寧ろ分からないからこそ挑む価値があるのだろうか。

 英昭の手は自ずとさゆりの身体に触れて行く。重なり合う二つの唇は甘美にして熱く燃え上がる勢いがある。その勢いは留まる事を知らずに互いの身体を侵して行く。

 しなやかなさゆりの指先は実に美しく透き通るほどに白い。だが絡まめて行く英昭の手もギャンブルばかりに興じて運動など殆どしていなかった所為かさゆりに負けないほどに綺麗なものであった。

 身体を熱く強く重ね合わせ二人の呼吸が一つになった時、美しい声は天に谺し快楽は舞い降りる。理性ではなく感性。これに依って結び付けられた二人の身体は正に自由を得る事が出来た。でも心はどうか。それに続く事が出来るのだろうか。

 健全な精神は健全な肉体に宿ると言われているが、その逆はどうなのか。真の意味で心と肉体が合致する事はあるのだろうか。自分でも分からないこの事象を他人に当て嵌める事自体が不自然な話でもある。しかしそうする事で互いの気持ちを理解したい、深めて行きたいというのが贅沢ながらも本音ではあるまいか。

 

 身体の交わりを終えた二人は暫く沈黙してから口を切り出す。

「貴方、何か他の事考えてたわね」 

  英昭は戦慄した。相変わらずの鋭いさゆりの洞察力は天性のものなのか。答えるのも憚られた英昭だったがここで何も言わなければ男が立たないと少し古びた感情に襲われる。

「考えてたよ」

  珍しくはっきりと答えた英昭に対し今度はさゆりが物怖じした。

「どんな事?」

「精神、心の交わりだよ」 

「貴方ってやっぱり変わってるわ、不思議な人ね」

「何で?」

「何でって、そんな柄にもない詩人みたいな事を思い付くんだから、でも実は私も同じ事考えてたのよ、答えまでは出せなかったけど」

 答えとは何なのだ。さゆりは行為の中で答えを見出そうとでも思っていたのか。如何に聡明なさゆりでもそれは無理な話ではないのか。こればかりはどれだけ感受性の強い人間、いやあらゆる生命にさえ出来ないとも思える至難の業に相違ない。

 それをただ感じた英昭に対し答えまで見出そうとしていたさゆり。この時点でさゆりの方が一枚上手であった事は言うまでもない訳だが、それも些か早計な感じもする。そしてその想いは先ほどの母の憂慮にも類似していた。

 母としては我が子の将来を心配するだけではなくさゆりの将来をも憂慮していたのだった。こんな出来の悪い息子にさゆりのような聡明な女性が付き合わされたのでは決して良い結果は出ないであろう。まだ生涯を添い遂げると決めた訳でもない二人の若者を慮る母の想いも早計に思える。

 しかし早くに父親を亡くし二人っきりで生きて来た母には息子が可愛くて仕方なかった。その行き過ぎた想いがたとえ二人、いや世間に批難されようとも。

 

 さゆりは一晩泊まって翌朝帰った。気を遣った英昭の母は敢えてさゆりには会わず、さゆりも母に挨拶をしないまに帰って行く。駅まで送って別れた二人。さゆりの後ろ姿を何時までも眺めていた英昭。それを一度だけ振り返って確かめるさゆり。屈託のない二人の笑みは一切の卑屈さを感じさせない。さゆりの姿が消えてもまだ帰ろうとしない英昭。その姿にも女々しさは感じられない。

 ようやく帰途に就く英昭。その道中彼の目には桜の花が一足早く開花したように見えたのだった。美しく麗しく優雅に、そして峻厳に。

 

 

 

 

 

 

 

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