人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

今週のお題  ~私が三島由紀夫にハる10の理由

はてなブログ10周年特別お題「私が◯◯にハマる10の理由

 

 

 

           風吹けば  靡く心の  潔さ(憫笑)

 

 

 晩秋の候、皆様方におかれましては益々御健勝のこととお慶び申し上げます。

 今日は久しぶりにお題に挑戦してみたいと思います。アホの一つ覚えで小説ばかり書いていても肩がこりますしね。ま、楽に書く事が出来ていない時点で自分もまだまだ未熟だという話なんですよね。肩の力を抜いて行きましょう 😒

 とはいえまた少々硬い話になる可能性は否定出来きないので悪しからず。

 テーマは自分が尊敬してやまない三島由紀夫大先生についてですね。ハマる理由と言われてもはっきり言って理屈抜きな感性に依るものだと思う訳なのですが、せっかくなので10個の理由をひねり出して行きたいと思います。

 という事で(どういう事やねん!?)はりきって行きましょう^0^

 

理由その一 ~語彙力、文章力

 これはかなり大きな理由ですね。大先生の語彙力、文章力はとにかく凄いです。いくら頭が良いとはいえいくら東大法学部出身とはいえ何故そんな言葉、そんな文章が書けるのっていう感じですね。正に文豪、天賦の才の表れだと思います。

 その最たるは地の文ですよね。侮る訳ではありませんが、はっきり言って会話文なんて誰でも書けるんですよね。情景描写にしても心理描写にしても計算高く緻密に考察された文章が如何にも自然的でかつ美しく描かれています。まずここに並外れた才能を感じるのですが、己惚れた言い方をすると嫉妬してしまうぐらいです(笑)

 例を挙げると仮面の告白に「私の自省力は、あの細長い紙片を一トひねりして両端を貼り合わせて出来る輪のような端倪(たんげい)すべからざる構造をもっていた」という一節があるのですが、如何にも純文学風な文章であるとはいえそうそう書けるものでもないと思います。

 ま、自分なんかには一生掛かっても無理でしょうね 😒 勿論これだけではありません。他にもいくらでもある訳なのですが、その一つ一つがとても人間業とは思えないような凄さで、謂わば全てが詩なんですよね。

 一見硬そうに見える文体でも、美しい詩の連続で出来上がった文章という感じに見えます。だから読んでいても肩がこらないどころか目を見張るものがあり、刮目に値する、崇高な美を感じるんですよね。

 とにかく凄いの一言です。

 

理由その二 ~感受性

 ものを作る人にとってこれは必要不可欠ですよね。これが礎となって一つのものが出来上がって来る事は言うまでもありません。逆に言えばこれがなければどれだけ文章力があっても心に響くものはないと思います。

 語彙力、文章力などは頑張れば上達するかもしれませんが、感受性はどうやって鍛錬すれば良いのでしょうか。それこそ持って生まれた感性に依る所が大きいとも思いますが、如何にしてその心を砕き、自然に同化する、亦他者を思いやるかがポイントになって来るような気がします。

 これこそが感覚的意思、感覚的意識なのだと思いますね。人間に備わった感覚、つまりは五感、そして仏教唯識論で言う所の六識、七識、更には八識にまで到達出来るかという神仏の優しくも厳しい試練という意味合いに感じられなくもない所です。

 

理由その三 ~前向きさ 

 これも重要ですよね。これがなければ話にもなりません。自分のような悲観的な者としてはこういう精神力は何処から来るのかと不思議で仕方ありません。これも持って生まれた性なのでしょうか。そう簡単に割り切ってはいけませんよね。

 自分が一番好きな三島作品の「憂国」この憂うという言葉と悲観するという言葉は似て非なるもので、三島大先生は今の日本を憂いてはいても決して悲観はしていなかったと思うのです。だからこそ精力的に執筆活動を続け、次々に名作を生みだしたのだと思います。

 でもこれもなかなか出来るものでもないですよね。強靭な精神力など持ち合わせている人は少ないと思いますし、自信があり過ぎ、充たされ過ぎていても逆に足を引っ張る事にもなりかねません。その微妙なバランス感覚の中で育まれるものにこそ真の力があるのだと思います。

 

理由その四 ~恥を曝け出す

 仮面の告白にあるように同性愛に目覚めていた自分を曝け出す勇気ですね。もしかしたら羞恥心にも及ばないごく浅い部分での自分の悪習を物語っただけなのかもしれませんが、ほぼ自叙伝であると言われている作品だけに満更でもなかったのでしょう。

 これも同じでいくらヒットする可能性があったとしても自分ならこんな事書けないと思います。だから今まで書いて来たものにもここまで露骨に表現した試しはありません。自伝的なものも書きましたけど、嘘はないまでも脚色しまくっていますね(笑)

それもカッコつけてです 😅 逆に大先生の場合はその素晴らしい才能に依って恥が恥ではなくなってしまっているんですよね。これも凄い話です。

 

理由その五 ~媚びないところ

 こんな事は今更言うまでもない事なのですが、時代に、世の中に、人に媚びていないですよね。正に唯我独尊、我が道を行くという感じですよね。

 これも凡人には出来ない事と思いますが、いくら時代背景が今とは全然違うとはいえ、当時でも三島さんみたいな狷介な人物は或る意味では反感を買う事も多かったのではとも思います。それでも毅然とした態度で生き抜いて行くその様は見ていて惚れ惚れしますね(実際に見た訳ではありませんけど) 自分も見習いたいものです。

 

理由その六 ~ユーモアもある

 これだけの偉人であっても決して堅物ではなかったとも思います。例の東全共闘との討論でも「現代ゴリラ」などと揶揄されても一言反論はしていましたが、その後「自分は現代ゴリラに成りたい」とかいう冗談で逆に学生達を笑わせているんですよね。このセンスも大したものだと思います。

 だから実際には柔らかい性格の人であったような気もしますね。

 

理由その七 ~怯まない

 これも全共闘での話なのですが、あれだけの学生を相手に全く怯んでいないですよね。討論に挑むに当たって一切の恐怖も感じなかったのでしょうか。念の為に短刀を用意していたらしいのですが、もしそういう事態に陥ったなら本当に使うつもりだったのでしょうか。それはそれで面白そうなのですが。

 あの討論は本当に面白かったですね。

 

youtube.com

 

理由その九 ~優れた話術

 これも全共闘での話なのですが、学生に負けていないどころか完全に打ち負かしていますよね。亦学生達は相手にすらなっていません。

 それは三島さんの話術をも超える常人離れした知性、知識に誰もついていけないといったもので、それを知らなかった学生達は逆に不憫に思えてしまうぐらいです。

 でも決して己が才能をひけらかす訳でもなく、あくまでもフランクな感じで接するその態度にも度量の大きさを感じます。

 そしてこの討論は決して相手を論破する事を目的としたものでもないんですよね。あくまでも歩み寄りであって、腹の探り合いではない心の共鳴を図ったものだと思います。

 それに引き換え今の是が非でも相手を論破したいみたいな風潮には品性の無さ、浅ましさが感じられ、論破などしてもいないのに勝ち誇っているような目出度い態度を示している姿を見ていると滑稽にも思えて来ます。

 やはり自分は悲観的な性格ですね 😢

 

理由その十 ~潔さ

 これについてははっきり言って触れたくはなかったのですが、三島大先生を語る上では触れずに通る訳にも行きません。

 最期の自決の話です。

 憲法改正には自分も賛成ですが、今の状況でやって欲しくはありません。それは今の日本という国家に本当にアメリカから独立してその自尊心を取り戻したいという志が感じられないからです。

 寧ろ今以上にアメリカに追従して行くが為に改正しようとしているのではと思ってしまうぐらいです。何の為に憲法改正するのかはっきりと示してくれない限りは賛同しかねますね。

 という意味では三島さんは正に日本を真に愛していたからこそ憲法改正を訴えていたのだと思います。だから訴えるだけで別に死ぬ必要などは無かったと思う所なのですが、その真意は分からずとも潔く自刃してしまった事については自分は素直にカッコいいと思ってしまいます。

 それこそ時代錯誤な侍の精神から来るものかもしれませんが、一言に潔いといても、ただ世の流れに潔く靡くのではなく、潔く自分の本懐を遂げる。こんなカッコいい話はないとも思いますね。

 何故なら自分を欺いてはいないからです。決して自己欺瞞にはなっていないのです。普通に考えれば命を無駄にしたと言える事なのですが、単に自殺といっても今の世の中に自刃など出来る人がいるでしょうか。無論それをしたからといって褒められるものでもない訳ですが、少なくとも他の自殺方法よりはカッコいいと思います。

 この時点で稚拙な感情と笑われるかもしれません。でも本当にそう思います。余程の覚悟がなければ出来るものではありません。

 時世に靡くのではなく、己が本音に靡く。自分のような凡人が言った所で何の信憑性もないのですけど、男として惚れ込んでしまいますね。

 

 という事で何とか10個ひねり出せました。褒めてばかりで落とし所は見つかりませんでしたね(笑) でも勿論ベンチャラなどではありません。

 また土曜日恒例の銭湯にでも行ってサウナせ汗をかいて来ます。

 では皆様ごきげんよう 😉