人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

早熟の翳  五話

 年は明け早や3学期が始まる。今年の正月も例年同様呆気なく過ぎたのだが、誠也が初詣でお祈りした事は二つあった。一つは己が志を遂げる事と、もう一つはまり子と生涯を添い遂げる事。普段はこんな願掛けなど一切しない誠也ではあったが、今年に限ってそれをしたという辺り、やはり今の誠也の心境に只ならぬ切迫感があったのであろう。いくら百戦錬磨の誠也でも神の力を借りたくなったのは差ほど不思議でもない。

 正月が終わってからの1月から3月、つまり春までは大した行事もなく退屈で仕方ない。誠也は来たるべく決戦に備えボクシングの練習に熱中していた。

 好きこそ物の上手なれとは言ったもので、誠也の技にはまた一段と磨きが掛かりもはや学校の部活動などでは相手になる者は一人もいなかった。

 身を持て余した誠也は顧問の先生に進言し一般のボクシングジムで合同練習する了承を得る。今回は特別だった。先生は他でもない誠也の頼みとその気迫に押され知り合いのジムを紹介する。誠也は健太を連れてジムに赴いた。

 学校から一駅歩いた所にあるそのジムはマイナーではあるが、過去に日本チャンピオンを輩出した事もある高名なジムであった。

 ドアを開け二人が入ると洗練された肉体を持つ少し厳つい練習生達が誠也達を睨みつける。だが良く見ると睨むとおうよりは寧ろ臆するような目つきでただ凝視しているだけであった。その中のリーダー格らしき人が少し揶揄うような言い方で

「よ、総長のお出ましだよ~!」

 と声は上げた。誠也は全く動じないまま挨拶をした。

「初めまして、宜しくお願いします」

「ま、取り合えずは基本的な練習メニューをして貰うかな~、ロッカーはその奥だから、早く着替えて来てね~」

 更衣室では健太が気を遣って仕方がない。

「誠也君、あんな奴に好きに言わせておいていいのか? 何だったら俺が」

「いいからさっさと着替えなって」

 着替え終わって出て来た誠也はその男に促されるままに一通りの練習をさせられる。ミット打ちにシャドーボクシング、サンドバッグに身体測定。どれを取っても非の打ちどころがない程誠也の動き一つ一つが可憐で、周りで見ていた練習生達は息を飲んでその光景を見守っているだけだった。

「お前ら何突っ立ってんだよ、練習しろよ」

 と男が言うと。

「先輩、そろそろスパーリングしてもいいですかね?」

 と誠也が訊く。

「あ、そうだな、じゃあ田中、お前相手してやれよ」

「先輩、すいませんがあの人では役不足ですよ」

「何? じゃあいきなり俺とやろうと言うのか? あんまり調子乗んなよ!」

「あんたでも一緒ですよ、自分はあの人とやりたいんですけど」

 誠也が指差したその男は、この間も一切動じる事なくひたすら練習に打ち込んでいた寡黙そうな男であった。誠也はどうしてもこの男とやりたかった。

「お前な~、あいつは今このジムの看板選手なんだよ、あいつとスパーリングするなんて10年早いよ」

「そうなんですか、じゃああんたとやりましょうか?」

 誠也は鋭い目つきで彼を睨みつけた。すると男は痺れを切らし

「分かったよ、そこまで言うんだったら相手してやるよ」

 と、半ば愛想を尽かしたような面持ちで誠也の申し出を受けた。

 勝負は早かった。その男の攻撃を受け流していた誠也は始まってからちょうど3分が経った頃に彼の鳩尾に1発、そして顔面に右ストレートのワンツー攻撃を放つ。男は一瞬にしてその場に倒れ込みギャラリー達の手で介抱されていた。

 男は己が力では起き上がる事も出来ない。ただ泡を吹く蟹のようにして横たわっているだけだった。

 そこでこの光景を初めから静観していたジムのオーナーでもある教官がこう口を切った。

「おい末永、相手してやれ」

 誠也が最初に指名した末永という男は鶴の一声ですっ飛んで来た。その表情は恰もこうなる事を見透かしていたような雰囲気で、含み笑いを浮かべながらリングに上がる。

 数々の修羅場を潜って来た誠也には分かる。この末永という男の強さが。しかし誠也は一向に怯まない。それどころか自分から間合いを詰めて行く。誠也が圧せば彼は退く。彼が圧せば誠也は退く。この一進一退の攻防が数分間続く。

 一見消極的とも思えるこの光景は達人同士にしか成り立たたない、正に一触即発の野生の動物が醸し出すような、一瞬の隙すら見逃さない戦場の生死を懸けた緊張感を漂わす。彼等は一撃を繰り出す好機を図っていた。

 その時健太がいらぬ事を口走った。

「誠也、今だ! 行けー!」

 と。その声は二人を動かせた。それは無から有に転じる程の凄まじく俊敏な動きであった。誠也は末永のボディーを狙ったが紙一重で躱(かわ)され、それとほぼ同時に末永の渾身の左フックが誠也の顎に命中する。誠也はたった一撃で倒れた。

 だがこれぐらいで負けを認める訳にも行かず、誠也は立ち上がり二人は再び相まみえる。今度は誠也の右フックが末永の顎を捉えた。当然末永も負けてはいない。

 これは単なるスパーリングではなく大袈裟に言えば死闘でもあった。4Rの勝負が終わり二人は精も根も尽きたような面持ちでその場に立ち尽くしていた。誠也も末永も全身全霊で闘い抜いた。

 それを見届けた教官は言う。

「流石だな誠也君、判定は難しいが四部六で末永の勝ちかな」

 末永も言った。

「いや、俺の負けですよ」

 誠也は

「完敗ですよ、最初にダウンした時点で俺の負けに決まってるじゃないですか」

 この誠也の言句は決して謙遜などでは無かった。誠也は改めて餅屋は餅屋、上には上がいる事を痛感したのだった。そんな誠也に対し末永は握手を求めて来た。二人はガッチリと手を握り絞め、お互い健闘振りを褒め称える。

 ジムを後にする頃健太は言う。

「さっきはすいませんでした、俺が余計な事なんか言ってしまったから」

「別にいいよ、お前の声が無ければあのまま二人は動く事すら出来なかったかもしれねえ、寧ろお前のお手柄だよ」

 健太も改めて誠也という男の懐の深さをしみじみと感じるのであった。

 

 2月になり冬は益々その厳しさを体現して来る。吐く息の白さはそれを助長するかのように人々の身体の奥底にまで浸透して来る。だがこの厳しい寒さのお陰で春の到来が待ち遠しくなる人の心は素直なもので、それに応えてくれる季節にも感謝せねばバチが当たる。こうした自然の理(理)というものは実に有難いものでもあった。

 久しぶりに誠也を訪れた修二はいきなりこんな事を口にした。

「おい誠也よ、そろそろ活動し始めないと若い衆も痺れを切らして何するか分かんえーぞ、もしそうなたら俺達だけで抑えが効くかどうか」

「お前も若いじゃねーか」

「ふざけてる場合じゃねーだろーよ」

「一番動きたいのはお前じゃねーのか? とにかく後ひと踏ん張りだ、それはお前も分かってんだろ」

 確かにその通りであった。笑いながら言う誠也に修二はそれ以上何も言い返せなかった。誠也のこの落ち着きは何処から来るのであろうか、ただ彼の総長である気心から来るものなのだろうか。

 だがそれは特攻隊長である修二とて同じ事で、同い年であるこの二人の格の違いはやはり誠也が持って生まれた気の強さと彼自身が全うせんとする宿命(さだめ)から来るものなのか。

 真冬の冷たい風は更に勢いを増し、彼等の勇ましい心根を烈しく揺さぶる。その風は宙を斬るようにして天高く舞い上がる。

 青春の只中にある彼等はこの風を味方に着ける事が出来るのだろうか。少なくとも誠也の心は根拠のある自身に充ち溢れていたのだった。

 

 

 

 

 

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