人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

早熟の翳  十六話

 歳月人を待たず。誠也は早や大学4回生になり後は卒業を待つばかり。だが彼にはやり残していた事があった。

 大学在学中にどうしても司法試験に合格したい。去年試験に落ちた誠也は今年が最期と言わんばかりに躍起になって勉強に勤しんでいた。周りからは別に卒業してからでもいいのではとも言われていたがそんな悠長な事は言っていられない、在学中に合格したいと言う気持ちはあくまでも誠也の信念であり、それは目標や夢というよりは是が非でも成し遂げなければならない彼の必須課題のようなものであった。

 こういった誠也の考え方に他意はなく、それを達成しない事には大学に進学した意味自体が無くなってしまう、別にカッコをつける訳でも何でもなくただ単純に目標を持ちたかっただけかもしれない。しかし傍から見れば何か焦りも感じられる。そんな誠也に母と姉は言う。

「あなた、そんなに頑張ってどうするのよ、確かに大学在学中に試験に通れば凄い事だとは思うけどさ、ボチボチでもいいんじゃないの、あなたの生き方を見てるとどうも行き急いでるように感じるんだけどね~」

「思いついた事は成就させないと意味ねーんだよ、思うだけなら誰でも出来るだろ、俺にそんな軟派な生き方は出来ない、今更言うまでもねーだろ」

 誠也の凄まじい気迫に圧された二人はそれ以上は何も言えなかった。

 誠也の志は今までの人生で翻意した事などただの一度もなく、頓挫した事も無い。彼は常に初志貫徹、思い立った事は完璧に成功させて来たのだった。

 神童と言えば大袈裟に聞こえるが完璧主義という訳でもない。幼い頃から何一つ失敗して来なかった誠也にはこの司法試験の事も一つの段階でしかなかったのだった。

 しかし世の中に完璧な人間など存在しない事も歴然たる事実で、彼の人の好さや女心が分からない点だけは今までも悩みの種であった。だが三年前のまり子との契りでその唯一の弱点ですら克服した誠也には今の所怖いものなど何一つ無かった。

 

 そのまり子とはこれまでも絶えず逢瀬を重ねていたが、彼女も誠也に勝るとも劣らない隙のない聡明な人物で、その精神的なレベルは常に誠也の上を行っていた。

 腕力は言うに及ばず、統率力や求心力では誠也が勝っていたが、包容力や洞察力、そして女性ならではの魔力みたいなものまで加えると四部六でまり子の方が一枚勝っていたのかもしれない。

 そんな二人の間柄こそが早熟で、既に生涯を添い遂げる覚悟を互いに持ち合わせていた二人には極端な言い方をするとこれからの長い人生に於いては他の目標を持つ事さえ軽率にも感じられる。それこそ傍から見れば神様仏様じゃあるまいし、そんな崇高な人生を送る事に意味があるのか、調和を超えたその間柄は完璧過ぎて面白みが感じられない、その先にあるものは一体何なのか。寧ろそれを見出す、完璧な答えを出す事こそが最終目的なのか。

 燦然と照り輝く夏の眩しい陽射しはそんなキリのない問答に逡巡する暇(いとま)を与えず、ただ強く光彩を放ち続けるのであった。

 

 夏の夜に快活に疾走する暴走族の姿は相変わらず勇ましい。論文短答共に司法試験を終えていた誠也は久しぶりに修二、清政の二人を擁して夜の街に繰り出す。この三人が歩けば道を譲らない者はいない。だが三人はあくまでも謙虚な姿勢で行動する。彼等を知っている者はその光景を見て流石と感心するぐらいであった。

 少し街を流した三人は例の居酒屋に入る。店に入った時点で彼等を怖れしゅんとなる客までいる。大将はそんな客に気を遣い三人を奥の座敷に通した。

「大袈裟だよ親っさん、俺らそんな立派なものでもないったら~」

「いいから、ここで大いに語らってくれや」

 大将の気遣いはただ優しいだけではなく、三人に対する誠意でもあった。それは勿論彼等にも感じられた事で、そのご厚意に応えるべく三人は腹を割って話をし酒を飲み出すのであった。

 お互いの近況には大した変わりは無かった。三人は大いに語らい談笑をして楽しい時間を過ごす。修二の性格柄、職業柄ともいえる小気味の良い様子も相変わらずで、清政のこれまた如何にも家業のヤクザらしい腹を据えた話し方も相変わらずであった。

 それを見て安心した誠也は思わず言う。

「二人共もはや一端の親分だな、そんなに早く成長してどうすんだよ」

 二人は少し怪訝そうな面持ちで答える。

「何言ってんだよ、誠也こそが一番の早熟の例じゃねーか、俺達は大して成長なんてしてねーよ、ただ年なりに生きて来ただけさ」

 それを訊いた誠也は含み笑いで切り返す。

「なるほど、未だに子供のままって事か、それでいいんだよ、十代の気持ちこそがこの世の中に一番大切なんだよ」

 二人の表情は一気に落ち着きを取り戻す。結局この三人は互いに義兄弟の契りを結んでいたとはいえ誠也無しではその形を成す事は出来なかったのだ。だがそんな驕りは当然誠也にも無く、あくまでも五分の付き合いをしているといった心持には何の変わりも無い。誠也はただ理屈抜きにこの二人が好きだったのだ。その間には卑しい駆け引きなどは一切存在しない。

 安心した誠也はらしくもない少し軽率な自慢にも思えるような事を口にする。

「それはそうと、俺は弁護士になるぞ、試験には合格したも同然だ」

「そうなのか!? 流石は誠也、22で弁護士かよ~」

 酔いが回っていた二人にはその誠也の言葉には何ら不快感を覚える事もなく、純粋に誠也の才能と努力を褒め称えるだけであった。

 そして清政も誠也に釣られるようにして軽はずみな事を口ずさむ。

「誠也よ、そうなったらうちの顧問弁護士になってくれよ、親父も喜ぶ筈だぜ」

 誠也は愛想笑いをしながらこう答える。

「それも一興かもな」

 それは清政を大いに喜ばせた。清政は更に続ける。

「そういえば健太、あいつ最近俺の家によく来るんだよ、その動機がまた笑えるんだ、俺をヤクザにして欲しいだってよ、おかしいだろ、はっはっは~」

 修二も釣られて笑い出す。だが誠也一人は一向に笑みを浮かべる事はなく一気に興ざめしたような面持ちで清政に迫る。

「お前、勿論冗談で訊いてたんだよな? 絶体にあいつをアウトローの世界に入らせるなよ」

 誠也の表情は何時にない真実味を帯びていた。清政はその切迫した心境を抑える事が出来ずに誠也に抗って見せた。

「誠也よ、俺もそんな事真剣に考えてる訳でもねーけどさ、でももうお互い二十歳を超えた訳だし、健太だってそこまで幼稚な奴でもねーだろ、もうそろそろあいつにも好き勝手やらせてもいいんじゃねーか?」

 誠也は神妙な表情を崩す事なく清政に対峙する。

「いいからヤクザだけにはさせるなよ!」

 誠也のこの気持ちは健太を慮った上での事だが二人には何かそれ以上のものを感じる。ヘタレ丸出しだった健太にヤンキーとして常に王道を歩んで来た誠也。この相対する人生を送って来た二人が友好関係を築けた要因は何処にあったのだろうか。それは修二と清政の二人と結んだ硬派な契りとはまた異なる絆のようにも思える。

 静と動陰と陽、男と女、水と油。この二極の原理とは本来どういう意味を齎すのであろう、この相対する事象が歩み寄る事は出来ないのだろうか。物質的には当たり前の事かもしれないが人の心はそう簡単には割り切れない。

 二元論が嫌いであった誠也は健太の事が心配でならない。それは単なる正義感というには底が浅く、誠也自身の奥底に眠る、本人でしか知り得ない人間生命の根源にある阿頼耶識というものではあるまいか。

 夏の夜風はそんな誠也の錯綜する想いを涼しく通り過ぎて行くのであった。

 

 

 

 

 

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