人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  五話

 

 

 窓外に見える外の風景は既に日が暮れかけ、一面に広がる野の草花は光の加減か紫色にも見える。そして少し強めに吹いて来た風は真人の逸る気持ちを一層駆り立てるような勢いがあった。

 真人は指示されたように取り合えず料理をテーブルに運んで食事の支度を整え、司祭やシスター達に声を掛け、自分自身も食事に赴く。食事室に入って来た一同はテーブルを囲み祈りを捧げてから席に着いた。真人も見様見真似で同じように振る舞い食事を始める。

 この日の夕食の献立は白身魚のムニエルとサラダとスープとパンであった。流石は修道院だけあって実に質素なメニューではある。だが結構美味しい。食事中は一切口を利いてはいけないという修道院の仕来りに従い一同は黙々と食していた。

 食事が終わるとそこでまた祈りが捧げられる。真人も心の中で感謝していた。そして皆が部屋を後にしてから片付けに勤しむ真人。食器を厨房に運び込み、殆ど汚れていないテーブルを拭き上げ、綺麗に皿洗いをする。それを見届けていたレーテは彼に対して

「これで今日の仕事は一応終わりです、これからは自由時間です、就寝前の祈祷までの間は何をしても構いませんが、節度のある行動を心掛けるようお願いします、では」

 レーテはそう言い置いて立ち去った。内心今更とも思えるこの忠言も、敢えてそれを口にした彼女の真意は寧ろ真人の行動を警戒する布石であったような感じさえする。彼女の事をそこまで疑う訳でもないが、どうせする事も無かった真人は思い切って司祭の部屋に向かった。ドアを軽くノックする。

 

「どうぞ」

 その澄み切った声には恰も真人の到来を予知していたような漂いさえ感じられた。真人は恐る恐るドアを開け一礼してから司祭が居る方へと足を進める。司祭はそんな硬い態度を取る真人に優しい声を掛けてくれた。

「ま~そんなに緊張せずとも、さ、ここへお掛けなさい」

 司祭の言に甘え腰を下ろす真人。その顔をじっと見つめる司祭。二人の間には目に見えない何か鋭い光線のようなものが走っていた。真人が先に口を切る。

「司祭、この祭はっきりと申しますが実はレーテの或る能力を見てしまったのです、あれは超能力ではないのですか?」

 司祭は彼のこの疑念すら予見していたようにゆっくりと口を開いた。

「やはりそこに気が付いてしまったのですね、彼女が火を付けた事でしょう」 

「はい、そうです」

「あれは燐です」

「燐?」

「そうです、人間の体内には生来燐が備わっています、それを持って火を起こす事は難しいですけど、修練を積めば誰にでも出来る事なのです、ですから貴方が見たのは決して超能力などではありません」

 それは確かに訊いた事がある。体内にある燐化水素を燃焼させる事に依って火を起こす事が出来ると。その最たるは墓地などにたまに現れるという人魂なのだが、実際にそのような事が人間に出来るのだろうか。そればかりは鵜呑みにする事が出来ない。そう思った真人は更に訊いてみた。

「ならば貴女にもそんな事が出来るのですか?」

 司祭は尚も悠然とした面持ちで何ら狼狽える事なく答える。

「無論出来ますよ、何なら今ここでして見せましょうか?」

 その瞬間、真人には人生で味わった事のない深い闇が心に浸透して来るのが感じられた。それは単なる暗い闇では無い。寧ろ明るい闇とでも言おうか。明るい闇など存在する筈も無いのだが、真人の心に映し出されたその闇は明らかに暗くは無かった。ならば光と表現した方がいいのかもしれない。しかし決して光ではない、あくまでも闇であるその恐ろしい形様はまたしても真人の心を侵食して来るのであった。このままではいけない、またあの時に戻ってしまう、あの数年前の悲惨な光景に。

 真人は力の限り手足を動かし抗ってみせた。その手足は空を斬るばかりで現存する物には一切当たらない。でも必死に暴れている内に何か人の身体の一部に触れたような気がした。それは司祭の脇腹であった。司祭は自分の脇腹を押さえ痛みを堪えながら真人に語り掛けて来た。

「合格です」

 真人には何の事やらさっぱり分からない。

「合格とは?」

「人として合格なのです、やはり貴方は珍しいタイプの人間であるようですね、虎さんや瞳さんが認めただけの事はあります」 

 真人は理屈抜きに照れてしまった。

「別にそんな大袈裟なものでもないですよ、余り買い被らないで下さい」

「いいや、この町には今までも幾多の人達が送り込まれて来ました、私も数え切れないほどの人を相手にして来ました、その度に思っていた事があります、欲どしい人間の醜い有り様です、この前来た人などはその燐を使う技を教えてくれとも言っていました、勿論教える訳がありません、私達も誰かから教わる事なくそれを独自の修練に依って体得したのです、ですから教えようも無いのです、それなのに貴方は教えて欲しいようなな素振りすら見せませんでした、貴方こそが真人間なのです」

 真人はこの司祭の言う事に心が癒される思いだった。確かに自分には欲どしい所は無いかもしれない、それどころか物欲自体が無いに等しい。それは烏滸がましい話ではあるが自分でも唯一誇れる事でもある。しかし欲が無くては生きて行く事すら叶わないとも思われる。強欲とは言わないまでも多少の欲は必要ではなかろうか。その事を問い質すように訊く真人であった。

「なるほど、確かにある程度の欲は必要かもしれませんね、その欲があるからこそ私達も今こうして生きているとは思います、ですが私達は決して贅沢はしませんし、あくまでも慎ましく謙虚で質素な生活を送っているつもりです、そうする事に依ってのみ神に近付けると信じているからです、それこそが神道であって仏教や悟道の境地だとも思います」

「貴女は他の教えにも精通しているのですか?」

「私達は色んな教えに身を委ねて来ました、或る時はキリスト教、或る時はイスラム教、亦或る時はヒンズー教に仏教、更には悟道と、ですから今僧侶に成る事も出来ます、私が修道院で司祭の身にに甘んじているのはただそれが好きなだけです、結局はこれも欲の一種かもしれませんが、真に好きな事に興ずる正直な気持ちは決して神を欺く所業でも無いと信ずる所であります、その正直な心持こそが真に尊ばれる事象ではないかと」

 司祭の言を最後まで聴き終えた真人は言葉を失ってしまった。それは単に掛けるべき言葉が見当たらなかったという事ではなく、司祭のその余りの貫禄と切実な想いに感銘した彼の率直な感想が表す所作でもあった。そんな真人の心情を察した司祭は改めて言葉を投げ掛ける。

「真人さん、今こそ貴方の真の人柄、その人生をこの目で確かめたくなって来ました、人間の真意というものを」 

 これ以上話をする事を憚られた真人は言葉少なに

「有り難う御座いました、失礼します」

 とだけ言い置いて部屋を出て行った。司祭ルーナはそんな彼の為人を深く掘り下げ瞑想するのであった。彼がこの町へ来た経緯、そしてこれからの真人の生き様を。

 

 

 

 

 

 

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