人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  八話

 

 

 血と臓物とは正にこの事か。巨大な鰐に飲み込まれた真人の眼前には見るも恐ろしい闇の世界が拡がっていた。ここが胃袋なのか、胃粘液の強力な粘着きに依って手足の動きを封じられた真人には何ら抗う術が無かった。だがこのままでは何れ死んでしまう。真人は精一杯力を振り絞って懐に忍ばせてあったナイフで鰐の身体を突き刺そうと試みたが、ナイフはいとも簡単に弾き飛ばされ何の役にも立たなかった。

 真人は観念して死を覚悟した。その時漆黒の闇に閉ざされていた鰐の身体の中が突然明るくなり、向こうから一匹の小魚が真人の方へ駆け寄って来た。メダカかウグイか、はっきりは分からなかったがその魚は何か笑っているように見えた。

「貴方ですね、最近この町に来たという人間は」

 こんな魚まで喋る事が出来るのか。だが真人はこの魚の何処か人懐こいような雰囲気に安堵を覚え、気軽に話出すのだった。

「そうです、今死を覚悟していた所です」

 魚はそんな真人を笑い飛ばし、彼の身体の周りをクルクル回り始めた。すると今まで自由の利かなかった真人の身体は軽くなり手足も思うままに動く。それどころか力が漲って来るような感じさえする。この魚にも何かの能力があるのだろうか。安心した真人は取り合えず礼を言った。

「ありがとう、これで少しは楽になれたよ、でもここからどうやって出るかが最大の問題だけどね」

 魚は尚も明るい表情で目をキラキラさせて、可愛らしく瞬きをしながら真人に語り掛ける。

「何の問題も無いですよ、ここからは直ぐにでも出て行けます、貴方も大して臆してはないでしょう、見ていれば分かります、それにこの鰐は最初から貴方を殺す気などないのです、それを証拠に自分の身体を見てみなさい、何処も傷一つ負ってはないでしょう、何の心配も要りませんよ」

 確かに真人も死を覚悟したとはいっても、心の何処かで理屈抜きに助かるような気がしていた。その根拠は何も無い。それは単に真人が余裕をカマシていただけなのだろうか。その限りでもないような気もする。

 人というものは得てしてこういう状況に陥る事があるようにも思える。例え朝の通勤電車に間に合わなかった時、次の電車では明らかに遅刻になってしまうとしても大して焦る事が無い時。亦試験で時間が無いのにも関わらず悠然と構えている時等。

 それは余裕をカマシていないとすれば諦めているだけのようにも思える訳だが、実はそうとも言えない。根拠の無い自信というものは人間誰しもが何処かに持っているようにも思える。逆にその根拠が余り確実なものであれば自信過剰になり失敗する事もある。人の心情とは実に不思議なものである。こんな窮地に立たされても尚自分自身に余裕を感じる真人の心境はそれこそ自分にも分からない。しかしこの小魚はそれを真人以上に察知していたのだ。

 その魚は更に真人を愉快にさせるような事を言って来た。

「貴方がここに入って来た事にはちゃんとした意味があるのです」

「それは?」

「この鰐の胃袋の中には特殊な力が備わっていて、貴方はそれを体得する為にここへ来たという訳です」

「その力とは?」

「この鰐と会った時点で貴方は気付かなかったですか?」

「動物と喋れる事かな?」

「そうです、それは鰐自体に備わっている力です、そして鰐と私が力を合わせる事に依って貴方には更なるパワーが生まれるのです、この鋭い牙と爪、異常なまでの嗅覚と俊敏さ、野生の動物としての力の全てが今貴方に備わったのです! ダァァァー!」

 真人がさっき感じた力とはこれだったのか、今はそれ以上のパワーまで感じる。この力さえあれば何でも出来るような気持ちにさえなる。真人はこの力を今にも使いたくて気の逸りを抑え切れないぐらいだった。

 そんな真人に魚は最後の忠告をする。

「その力に甘んじているだけではいけませんよ、それだけではこの町から真に解放される事はないのですから、分かりましたね」

 

 

 その後真人は魚の計らいに依ってあっさりと外へ出る事が出来た。そこで改めて鰐に挨拶をする。

「どうもお世話になりました、これだけの力を得れば何も怖いものはありません、有り難う御座いました、では」

 鰐は何も言わずに真人を見届けていた。その表情にはこれからの真人の行動を見守りまがらも楽しむような、人間の力を試すような漂いがあったのだった。

 丁度昼ぐらいの時刻になったのだろうか。太陽が真上に感じられるこの光景は真人のみならず動物達の空腹感も刺激する。そう感じた矢先、案の定動物の群れが勇ましく荒野に雪崩れ込んで来た。真人は一瞬その様子に恐怖を感じたが、さっき手にした力を発揮出来る好機とばかりに動物達が荒れ狂う荒野の只中に颯爽と進んで行く。

 彼がまず目にしたのは少数のシマウマがライオンの群れに襲われそうになっていた風景であった。ライオンの群れはその鋭い爪でシマウマの足や腹を斬り割き、噛まれたら二度と話さないであろう凄まじく尖った刃で噛みつく。その厳つい表情といいその貫禄のある容姿といい、傍から見ているだけでも恐いライオンの姿は力を得たとはいえ真人をの身体を震え上がらせるのには十分だった。

 こんな場は一刻も早く立ち去ろう。真人はこう思った。だがさっきの魚の言った事が妙に鼻に付く。真人は決心した。ライオンからシマウマを助けようと。

 真人は一目散にライオンの群れに向かって突進する。その速さに我ながら愕く真人ではあったが、それはライオンにしても同じ事だった。真人の襲来を察知したライオン達はいち早く身体を転進させて真人を攻撃する事に専念する。真人はまず一頭のライオンの足を挫き、更に次のライオンの腹に噛みついた。ライオンは悲鳴を上げつつも真人の攻撃に耐え、亦次のライオン達が遅い掛かって来る。流石の真人も力尽きてその場に仰向けになって抵抗するのを止めてしまった。

 今度こそ死ぬのか、そうだな、これでは何も出来ない、今度こそ万策尽きたのだ、こんな死に方も悪くはない。そう覚悟した時、ライオンは攻撃の手を止めシマウマは涙を流し真人の頬を舐めてくれた。一体何が起こったのか、何故ライオンは襲って来ないのか。真人は天を仰ぎ問う。

 すると向こうから一頭の巨大な象が子供を連れてやって来るのが見えた。その大きさはどれほどだろう、優に真人の身体の5倍以上はあるのか。象はそんな大きい身体を皆に見せつけるようにして姿を現す。動物の中でも最強と言われる象。確かにその威厳に充ちた風格には万人が物怖じするでろう。象の迫力のある咆哮に怖気づいたライオンはもはやピクリとも動かない。辺りは一瞬にして静まり帰った。そして象は真人にこう語り掛ける。

「合格です」

 まただった。何に合格してというのか。怪訝そうな面持ちを泛べる真人に対し、象は言葉を続ける。

「貴方は畜生として合格です、さあお連れさんが来ましたよ、行きなさい、更なる試練に立ち向かうのです、貴方ならどんな試練にも打ち勝つ事が出来ると信じていますよ」

 象はそう言って立ち去った。ライオンもシマウマも同じく。

 お連れさんというのは言うまでもなく瞳であった。瞳は真人の顔を見て安心したように口を開く。

「流石は真人君ね、大して心配はしてなかったけど、こうもあっさりと型を付けてしまうとはね、さあ行きましょう、次の場所へ」

 内心真人には分かっていた。その次なる場所が何処であるかが。

 真人には帰り様、象の親子が振り返り可愛いウィンクをしたように見えた。

 

 

  

 

 

 

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