人生は花鳥風月

森羅万象様々なジャンルを名もなき男が日々の心の軌跡として綴る

約定の蜃気楼  十話

 

 

 西軍の本陣から数十分歩いただろうか。遙かに霞んでいた敵本陣にようやく辿り着いた一行は快く迎え入れられ、手厚いもてなしを受けた。取り合えずと一献授かった真人は悠長に構えているなと感心しながら酒を飲んでいた。

 敵総大将の榊原泰幸はその恰幅の良い身体でどんと座り込んで、微動だにしない様子で何故か大将の神原利昌を差し置いて真人に語り掛けて来た。

「貴公は実に聡明な顔をしておられるの~、いや気に入った、素晴らしいご尊顔じゃ」

 真人は大して照れる事もなくいきなり本題に入った。

「お褒め頂き恐悦至極で御座います、では気に入って頂いたお礼に一つ上策を献上仕りたいと存じます」

 榊原はそんな真人の出過ぎた振る舞いを咎める事もなく、あくまでも大らかな態度で訊いていた。

「ほう上策とな、それは是非伺いたい」

 真人も何ら躊躇う事なく答え出した。

「和睦です、今直ぐ停戦して手打ち和解して下さい、そうしなければ貴軍は間違いなく負けます、そしてこの戦乱は未来永劫続く事となりこの世は消滅してしまうでしょう」

 流石に懐の深い榊原もこの真人の策には乗り気にはなれず、些か眉に皺を寄せ厳しく真人を問い質した。

「貴公、少し侮り過ぎではあるまいか? そんな簡単に和睦など出来よう筈もないし、西軍もそれを承知しないだろう、本気で言っておられるのか?」

「無論本気です、西軍ではこの神田様の隊が一番勢力の大きいい隊である事は言うまでもないと思います、そうなると神田隊の出方一つでこの戦は決してしまうと言っても過言ではありません、ですからこの神田隊の寝返ろうとした様を西軍に伝えた上で、結局は自重して自軍に戻って来た、それも和睦という成果を携えて、という事では如何でしょう?」

 榊原は神妙な面持ちで思案していた。確かに真人の策にも一理はある。しかし西軍が力で勝っているのなら和睦に賛同するとは到底思えない。榊原は今一つ真人を問い詰める。

「それぐらいの事で西軍が折れるだろうか?」

 真人は尚も悠然とした態度で少し目を細めて答える。

「人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有りとか、まず西軍はいくら力に勝るとはいえその軍勢はあくまでも烏合の衆です、大して東軍はその烏合の衆にも劣る極めて非力な軍勢です、そんな両者がこのまま烈しい合戦を続けた所でこの先一体何がある、誰が得をするというのですか? 今こそお互い手に手を取って来たるべく未来に向けて出発するのです、そうする事でしかこの乱世に終焉を告げる事は出来ません」

 この真人の策には榊原は言うに及ばず神田や兵士達までもが感動し深く聞き入っていた。中には泣いている兵士もいる。そんな中、榊原は真人達が自軍に戻るのを待たずして鷹揚な態度で言葉を放つのだった。

「よし分かった、合格じゃー!」

 榊原の叫び声が辺り一体に響き渡ったと同時に戦場は真人の前から姿を消し去った。これは修羅道の合格に他ならない。そう確信した真人はもはや瞳を待つまでもなく次なる試練へと赴くのであった。  

 

 

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 次の試練は餓鬼道。その場所は消えた戦場から遙か南に1時間以上も歩き続けやっとこさ辿り着いた凡庸にして貧相な、亦清楚でありながら獰猛な雰囲気を漂わす実に辺鄙な光景を醸し出していた。

 餓鬼とは、仏教の世界観である六道において餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者で、仏教に於いては輪廻転生の生存形態である六道に組み込まれた。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされている。

 真人はここでも出迎えられる事なくただ一人前へと突き進んで行くのだった。これは天なのか地なのか、何とも言い難いその光景は真人を前にしても一向に変化する事なく終始物を喰らっているように見える。

 その中にいる一人の男に思わず真人は声を掛けた。男はガリガリに痩せ細った身体を表しながらも、プクーっと膨れ上がった腹だけを強調するかのような様相を呈しながらで訊いていた。

「貴方方は一体何をしているのですか?」

 その者は真人の問いにも一切答えようとせずに、ただ黙々と何かを食している。そんなにひもじいのだろうか、そこまでして食べる事に執着する彼等の思惑とは一体。

 真人は少し悪戯をしてみようと思いついた。戦場で刈って来た少量の草を彼等の前に放り投げる。すると今まで見向きもしなかった者達が一瞬にしてその草に群がりそれを奪い合うように貪り始めるのだった。

 牛や馬でもあるまいし、そこまでこの草が美味しいのだろうか。だがその目つき、その果敢さ、その欲どしいまでの浅ましい姿は真人をも驚愕させ、それに興味を持った彼は更に質問する。

「そんなに慌てなくてもいいじゃありませんか、食糧はまだありますから、それより貴方方は何故ここまでして食べる事に執着するのですか? ここは餓鬼道の筈でしょう、それならば食べるという行為自体が重罪に値するのではないのですか?」

 ここでようやく一人の男が真人に対し口を開いて来た。

「貴方は誰ですか? 何も分かっていないようですけど、私達は決してものなど食べてはいませんよ、これをご覧んなさい」  

 そう言った男の手には何も無かったのである。空気でも持っていたのか、そんな馬鹿な話は無い。真人はその手をしつこく確認していた。だがどう見ても何も無い。観念した真人はその男に改めて問うのだった。

「ならば貴方方は一体何をしてるというのですか?」

 その者は未だ狼狽える事なく、逆に真人を訝しむような面持ちで答えた。

「一応自己紹介をしておきますが、私は戒名をシュードラと申します、生前の名前はその浅ましい性格から餓忌と呼ばれていました、この二つの名称だけでも寒気がするぐらいの汚らわしさを感じます、ですから今の自分達は汚名返上するべくここで精一杯し精進しているつもりです、それをこれまでの試練に打ち勝って来ておいでの貴方が見抜けなかった事が実に嘆かわしい限りです、貴方は一体これまで何を見て、何をして来たというのですか?」 

 真人には返す言葉が無かった。確かにその通りだった。今更この様子を訝しむ事は滑稽にも思える。これまで四つの世界を転々と彷徨いながらも如実に感じられる成果は無いに等しかった。覚えている事は畜生道で動物と話をする能力と鋭い牙や爪を持った事。修羅道では自分でも思いがけぬ知恵が浮かんだ事ぐらいであろうか。それはそれで人間離れした能力ではある。しかしそれを真に自分の力とする事が出来ただろうか。そこには大きな疑問が生まれる。

 真人は今更ながら初心に帰り彼に対し、正直な想いを訴えるのだった。

「自分が浅はかでした、所詮は若輩者です、その事を踏まえた上で敢えてお頼みします、自分を鍛え直して下さい、お願いします!」

 真人の声高に叫ぶその甲高い声はその場に反響し、他の者達にも動揺を与えた。順応した者達は一気呵成に真人の身体を犯すような勢いで襲い掛かって来る。

 真人はそんな彼等の凄まじい攻撃を怖れながらもじっと耐え、半ば諦めの表情を泛べながら何ら抗う事なく、甘んじてその身を差し出そうとしたのだった。

 その時真人の耳には何かとてつもない、神々しいまでの厳かな天の声が聴こえて来るのであった。

 

 

 

 

 

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